球団消滅から15年― 豪快伝説、個性派集団、いてまえ打線…最後の選手会長が語る近鉄

インタビューに応じた磯部公一氏【写真:望月遼太】
インタビューに応じた磯部公一氏【写真:望月遼太】

まさにプロ、野球になれば一気にまとまる個性派集団

 今回出版された書籍の前半部分では、“悲運の名将”と呼ばれた西本幸雄氏の談話やエピソードが多数紹介されている。“お荷物球団”と揶揄されるほどの弱小チームだった近鉄を熱心な指導で立て直し、1979年の球団史上初のリーグ優勝、そして翌年のリーグ2連覇へとチームを導いた、まさに近鉄の礎を築いた闘将だ。

 礒部氏は西本氏の指導を直接受けたわけではないが、梨田昌孝氏や羽田耕一氏といった、西本氏の教え子だった近鉄のコーチの指導を通じて、その教えを学んだ。

「梨田さんもよく言われるのですが、仰木(彬)さんの時代も含めて、近鉄では西本さんの野球がずっと続いていました。自分がコーチになって指導する際にも、自分では気づかないうちに、そういった部分が少しずつ出ているのかなと、後から考えれば思うこともあります」と、その教えはさらに後の世代にも受け継がれているようだ。

 西本氏が作った“強い近鉄”の潮流は、その後も球団の伝統となって確かに息づいていた。礒部氏が「僕にとっては最高の二塁手。最高の守備職人」と絶賛する盟友・水口栄二氏は、1991年に近鉄に入団。普段は選手個々がバラバラでも、いざ試合が始まるとひとつにまとまってプレーするところに感銘を受けたという。そういった姿勢は、礒部氏が入団した1997年になっても継続していた。

「もう、そのまま残っていましたよ。プライベートは全然バラバラでも、試合や練習の連携プレーではばっちりのタイミングでやれるんですよ。本当にプロというか、『あの人とあの人は仲が悪いのに、いざ野球となるとこんなに上手くできるんだ』と。プライベートが全く関係ないという話ではないですが、昔の西武もそうだったんじゃないですか? 強いチームって、こういうことなんだなとは思いましたね」

「いてまえ」の合言葉通り、豪快なエピソードの多かったチームだが……

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