【野球と記録】野球はなぜ「記録のスポーツ」に? プロ野球草創期から記録員が活躍した日本

日本では戦前から記録員が活躍した
日本では戦前から記録員が活躍した

明治、大正時代に「慶應方式」「早稲田方式」のスコア記入法が誕生

 日本に「ベースボール」が伝えられたのは1872年であるとされる。ホーレス・ウィルソンという「お雇い外国人」が、開成学校(のちの東京大学)の生徒に野球の手ほどきをしたのが始まりと言われる。

 野球に関する書籍も持ち込まれ、翻訳されたが、この時期、すでにヘンリー・チャドウィックはボックススコアなどを発明していた。野球規則や記録法もやや遅れて日本にもたらされている。

 明治中期まで日本野球は開成学校から名称を改めた第一高等学校が最強を誇ったが、第一高等学校は19世紀末には、独自の記録法を編み出している。

 その後、早稲田大学と慶應義塾大学の対抗戦である「早慶戦」が人気となったが、慶應の直木松太郎は「野球規則」の日本語訳を手掛けるとともに、独自の「記録法」も編み出した。

 直木のスコア記入法は、同じ慶應出身の山内以九士によって改良された。これが「慶應方式」スコア記入方法として普及。東京六大学や、NPBの公式記録は、現在も「慶應方式」で記録されている。「打率」「防御率」などの言葉も山内が考案したものだ。

 早稲田大学監督の飛田穂洲は、「一球入魂」を唱え、日本のアマチュア野球の精神的な支柱となり「学生野球の父」と言われたが、大正末期に独自のスコア記入法を開発。これは「早稲田方式」と言われ、高校野球などを中心に普及した。日本では戦前から「スコアブック」が刊行されたが、これは主として「早稲田方式」での記入を想定している。

昭和中期まで、記録面では日本野球がアメリカをリードしていた

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