楽天寮長は異色の経歴の持ち主 「日々の変化を見るのは大切」【パお仕事名鑑Vol.13】

名電ではソフトバンクの工藤公康監督と同級生、ドラフト3位で日本ハムに入団し引退後は審判に

 中村さんの球歴を紹介しよう。高校野球の名門・名古屋電気高校(現愛工大名電高校)で主将を務め、1981年、夏の甲子園に出場。その時のエースで同期が現ソフトバンクの工藤公康監督だった。ドラフト3位で日本ハムに入団し、引退後、89年に審判に転身。以後2018年まで2800試合以上を裁いてきた。日本シリーズ13回、オールスター戦5回という数字も球史に輝くが、それ以外にも野球ファンにはたまらない劇的な場面に数多く立ち会ってきた。縁あって、2019年春の石垣島キャンプから楽天イーグルスに帯同し、現職。審判から寮長というのはかなり珍しい経歴だ。

「紅白戦やシートバッティングなどで私がプロの審判の目で選手を見ることができます。普段の練習をプロの審判が見ることはほとんどありませんから、これは役立っていると思います。練習を終えた後、寮で『今日のシートで僕のピッチングはどうでしたか?』と選手が聞いてくることもありますしね」

 約30年にわたってプロの一線で試合を見てきた審判の目線。「このボールはよかったぞ」という一言が選手にとってはとても重く、貴重なものになる。しかも、昼夜を共にし、朝食の変化にまで目を配ってくれる人が、冷静なプロの目線でのアドバイスをくれる。

「審判としての立場、寮長として育てる立場、その両方で見られるということが選手のためになっているといいですね」

 審判から寮長。この珍しいキャリアは、寮長という仕事だけではなくいろいろなキャリアに挑む人にも勇気になるのではないだろうか。中村さんが取り組むこと。その一歩、すべてが業界にとっては前代未聞の挑戦にもなる。その分、当たり前だと思われていることを知らないわけで、日々悩み、重圧もあれば苦労も多いだろう。

「そうですか? 楽しくてしょうがないですよ(笑)。毎日がトライ。全部、苦労かもしれないですけど、でも楽しいんです。とまどいはあっても、どんどんいろいろな新しいことに取り組んでいきたいという気持ちの方が大きいです。今年、初めてイースタン・リーグで優勝したんですが、その時、三木(2軍)監督と握手して、あぁ、良かったなあって実感しました。やはり楽しいですよ」

 挑戦したいという気持ちを持ち続ける。約30年、極めてきた仕事からの新しい挑戦。50代でも60代でも、いや、年代は関係なく、一つの仕事に情熱を燃やし、成果と評価を経てきた人たちにとって、参考になるものではないだろうか。

「例年行っている高校のOB会で、工藤と会うのも楽しみですよ」

 奇しくも、楽天とソフトバンクは、クライマックスシリーズのファーストステージで戦ったが、同じ日、ファームの日本一をかけて同一のカードが行われた。高校の同期、選手と審判として活躍してきた2人が、今度は監督、寮長としても競う。野球はつくづく大河ドラマだと思うエピソード。その中で、中村さんは寮長としてまだまだトライしたいこと、発見したいことがあると力強い。親代わりともいうべき寮長がこのような前向きな気持ちで、どんどん前に進んでいくのなら、寮はすばらしい場となり、選手たちも大いに活気づくことだろう。

(「パ・リーグ インサイト」岩瀬大二)

(記事提供:パ・リーグ インサイト

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY