メジャー挑戦目指し亡命した鷹コラス 背景にあるキューバと米国の複雑な国際関係

ソフトバンクのオスカー・コラス(写真左)【写真:藤浦一都】
ソフトバンクのオスカー・コラス(写真左)【写真:藤浦一都】

1959年のキューバ革命により、1961年にアメリカとキューバは国交を断絶

 2017年からソフトバンクに在籍し、2019年には1軍の試合に7試合出場したオスカー・コラス内野手が、MLB移籍を目指してアメリカに亡命したと報じられている。コラスはキューバ出身。共産圏であるキューバの野球は極めて特殊な状況にある。その背景を探ってみたい。

 キューバはスペイン領だったが、長い独立戦争を経て1902年に独立。アメリカの支援を得てスペイン勢力を追い出し、キューバ共和国となった。スペイン領時代の1860年代に野球は伝わったが、独立後のキューバがアメリカと強く結びついたことで、野球は非常に盛んになった。

 キューバ出身の最初のメジャーリーガーは1871年のスティーブン・ベランだが、1902年の独立以降、多くの選手がアメリカでプレーした。日本のプロ野球にもチコ・ゴンザレス、トニー・ゴンザレス、ロベルト・バルボンなどのキューバ出身選手が在籍した。バルボンは阪急の1番打者として活躍し、盗塁王も獲得した。

 しかし、1959年にキューバ革命が起こり、フィデル・カストロが率いる社会主義国となった。1961年、アメリカはキューバと国交を断絶。このためにアメリカや日本でプレーしていたキューバ出身の野球選手は母国に帰れなくなった。バルボンは、日本にとどまり日本人女性と結婚し、引退後も長く阪急、オリックスの通訳やスタッフとして勤務することとなった。

 しかし、カストロ首相は大の野球好きだったので、革命後もキューバでは野球は盛んにおこなわれた。国内のトップリーグは、キューバの花形スポーツとなった。選手はいわゆるステートアマ(国家公務員の選手)であり、待遇も良かった。キューバ野球はアマチュアではトップクラスの実力を誇り、ワールドカップやオリンピックでも大活躍。アメリカの影響下にない唯一の野球大国となった。

 しかし、キューバを支援したソビエト連邦の崩壊以後、キューバの経済状況は悪化し、国内リーグの選手の待遇も劣悪化。1991年に投手のレネ・アロチャがアメリカに亡命し、セントルイス・カージナルスと契約を結んで以降、キューバのトップ選手は次々とアメリカに亡命してMLB球団と大型契約を結ぶようになった。

 2019年は30人のキューバ出身選手がMLBでプレーしたが、全員が亡命した選手だった。その中には、昨季のナ・リーグ打点王ホセ・アブレイユなどのトップクラスの選手もいる。人材流出を食い止めることができないため、キューバ野球のアマ球界での地位は下がりつつあった。2013年、選手の待遇を改善する目的もあってキューバ球界は、MLBの影響下にあるメキシカン・リーグへの選手のレンタル移籍を承認。さらに日本などアメリカ以外の国への限定的な移籍も承認した。

2018年にMLBとキューバ野球連盟が移籍に関する合意を取りまとめたが、トランプ大統領によって撤回

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