「何をしていたか覚えていないプロ3年間」元ロッテ島孝明がぶつかった壁

投げ方がわからなくなった1年目の秋

――その一方で辛かったことは? 1年目の秋の鴨川キャンプで話を聞いた時から悩んでいましたよね?
「1年目の秋からずっと、あーでもない、こーでもないとやっていました」

――それは何を悩んでいた?
「自分のパフォーマンス、投げたいボールをどう投げようかなと毎日悩んでいました」

――それは、入団した時には悩まなかった?
「入ったときはあまり悩まずに投げられました。けれど、日を重ねていくうちに今までと環境も違うし、体の変化などもたくさんある中で、本来の自分の姿というのは見失いかけたのが、1年目の秋ぐらいでした」

――身体の変化というのは?
「体もトレーニングとかで大きくなったり、練習のスタイルにもあんまり馴染めなくて、高校時代と全く違ったので、それに合わせることが難しかったです。環境の面で言えば、寮も初めてでしたし、高校時代も自宅から通いだったので、寮の一人部屋で何をしたらいいのかわからなかった。そういうことにも対応するのが難しかった。息抜きの仕方がいまいちわからなかったです」

――プロ野球選手というプレッシャーは?
「練習を見られることは今までなかったし、常にファンがいるということは、今まで試合だけだったので、経験したことがなかったです。見られるというのは結構自分も意識はしてしまいました」

――2年目のシーズンはあまり投げられなかった?
「本当に投げられたのは終わりの方からだったので、それまで地道に過ごしていました」

――その期間はどうしていた?
「怪我でもないし、投げられるわけでもないし、多少情緒不安定というか… 本当に精神的にも安定はしていなかったですね」

――普段は何をしていた?
「寮に帰って、何をしていたのだろう… あんまり覚えていないです。(笑)。何していたかな? 本当にそんな感じです。何をしていたかさえ覚えていないです」

――それでも、夏の高校野球千葉大会を見に来たりしてた。
「こもりっぱなしは良くないなと思って。1年目も本当にこもっていたし、2年目になってちょっとずつ周りのことも分かり始めて、とりあえず外にでるみたいなことが多かったです」

――とりあえず外に出てどんなことを?
「外に出て、カフェでぼーっとしていました。本当に外の空気を一人で吸いに行くかんじでした。高校の野球を見に行くことは外に出る機会でもあるし、楽しんで見られました」

――それでも2年目の秋ぐらいから復調の兆しがみえたのはどうして?
「あの時は、シーズンは投げていたけれど、投げては打たれてという感じでした。秋のフェニックスリーグで、そこでかなり感じがよくなりましたね。9回抑えという役割を持たせてもらえたこともあったし、そこで自分も抑えられたということもあって、あの時期は楽しかったですね」

――投げられないのと、投げられるようになったのは何が違った?
「わからないです(笑)わからなかったからダメなんだろうな(笑)」

――2019年のキャンプはどうでした?
「良い日と悪い日、そういう時しかない。ブルペンは本当にひどかったけれど、本番では奇跡的に抑えられたり、難しかったです」

――それが“イップス”?
「そう呼ばれますね。原因がわからないからこそ、手ごわいです(笑)」

――2019年シーズンはどうでした?
「本当に前後半で調子がはっきりしていたという感じです。7月まではそれなりに投げていましたけど、後半に入って怪我もあったので、後半はもうほとんど投げていないです」

――怪我というのは?
「腰痛とか、肉離れとか。ずっとシーズン前半に投げてきて、疲労だったりもあったと思いますが、後半に入って怪我もして、本当に前半後半ではっきりしていました」

――その中で、シーズン前半になげられて楽しかった?
「その投げられている中でも、やっぱりしんどいこともあるので、結果を出して楽しいとは思えました。終わった瞬間に『あーよかった』と思える。投げるまでは気持ちの面でもしっかり保っておかなくてはいけないし、気の抜けない毎日でしたね」

――抑えという役割も大きかった?
「ありますね。どんな場面で投げるのかとか、やっぱりそういうことは関係してきましたね」

――改めてプロ野球3年間でわかったこととは?
「自分の譲れないものはしっかり持っておかないとダメだなと思います。軸だけは絶対曲げないというものを持っていた方が、やっぱりブレずにやれるかなと思います」

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