【私が野球を好きになった日11】元燕・川崎氏に野球本来の楽しみを教えた恩師の存在

大好きだった原選手と初対面「東京ドームのベンチにいたら…」

 小学生の頃、川崎氏が夢中になったプロ野球選手がいる。それが巨人の原辰徳選手だった。「部屋中にポスターを貼ったり、写真集を持っていたり、原さんのバッティングフォームを真似して打っていましたね」と、懐かしそうに振り返る。そんな憧れのスターと対戦する日が来るとは、この頃は夢にも思わなかった。それは入団1年目、1989年のことだった。

「めちゃめちゃ感動しましたね。高校上がりの坊主が、いきなりスター選手と対戦するわけじゃないですか。その前の年までテレビで応援していた人たちが、対戦相手として自分の目の前にいる。最初は緊張もあったけど、うれしさ半分でした。夢のマウンドですよ」

 夢の世界の出来事のようで対戦結果は覚えていないというが、原選手と初めて言葉を交わした時のことは、今でも鮮明に覚えているという。

「1年目の開幕してすぐの頃、試合前の練習で僕が東京ドームのベンチにいたら、原さんがなぜか僕のところにツカツカっと歩いてきて『ちょっと尾花(高夫)さん呼んできてくれ』って言われたんですよ。すぐさま『ハイッ!』って(笑)。やっぱり緊張もしたし、うれしかったですよね。野手とか投手とか関係なく、やっぱり原さんが一番好きだったので」

 入団当時にヤクルトを率いた関根潤三さん、プロ2年目から教えを授かった野村克也さんと、今年は2人の恩師が相次いで他界。「今でも人の出会いには恵まれているんですよ」という川崎氏にとって、2人の訃報は堪えた。

「本当にお世話になった2人。1年目で高校上がりの坊主を訳も分からずに使ってくれたのが関根さんで、2年目からはノムさんにいろいろ教わり、いい夢も見させていただきました。すごく感謝している2人が立て続けに亡くなってしまったのが寂しいですよね」

 野球を通じて良い出会いに巡り逢ってきただけに、これからは自身から次の世代に伝える役目を担っていきたいという。

「僕にどこまでできるかは分からないですけど、伝えていくことが大事。野球本来の楽しみをいかに伝えられるか、伝承できるかというところじゃないですかね。そもそも野球は遊びだったもの。プロ野球は職業ですけど、遊びの部分をしっかり知っておかないと、本物はできないと思っています。勝つことが全てではない。野球の面白さだったり、野球に付属した礼儀だったり、そういうものを伝えていきたいですね」

【川崎憲次郎氏情報】
3月31日に著書「もう一度、ノムさんに騙されてみたい」(青志社)を発売。故・野村克也氏がヤクルト監督時代に開いたミーティングでホワイトボードに書き込んだ言葉・教訓を、川崎氏がメモしたノートを振り返りながら紹介する興味深い内容となっている。

(佐藤直子 / Naoko Sato)

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