【私が野球を好きになった日12】横浜高・松坂大輔に惚れた夏 放送席で触れた真実

南原清隆氏とGETSPORTSに出演する三上アナ(日曜深夜130~放送中)【写真提供:テレビ朝日】
南原清隆氏とGETSPORTSに出演する三上アナ(日曜深夜130~放送中)【写真提供:テレビ朝日】

テレビ朝日で野球実況を務める三上大樹アナウンサー、野球を始めるきっかけになった甲子園

 Full-Countでは選手や文化人、タレントやアナウンサーら野球を心から愛する人々の「私が野球を好きになった日」を紹介。第12回はテレビ朝日・三上大樹アナウンサー。自身も神奈川の高校球児。小学6年生の時に見た98年夏の甲子園が人生の転機となった。

 少年時代に心が戻る瞬間が誰しもあるだろう。高校球児の姿を見たり、小さい頃に憧れていた選手の現在の姿を見たり……テレビ朝日で野球実況やスポーツ番組に出演する三上大樹アナウンサー(2009年入社)も日々の仕事をしていると、“あの夏”の自分が蘇ることがある。

 1998年8月20日、小学6年生の夏休み。プール学習のため、地元・横須賀で通っていた学校へ行く準備をしていた。横目で見たテレビでは夏の甲子園・準々決勝、横浜高-PL学園の試合が始まっていた。それまでサッカークラブに通っていた三上少年には、高校野球を見るという習慣はなく、“家の近くの高校が試合をしている”というくらいの認識だった。

「プールが終わって、家に戻って、お昼を食べようと思って、テレビをつけたら『まだ試合をやっている……』と。『えっ? 松坂がずっと投げているの?』となりました。その衝撃だけは今でもよく覚えています」

 午前8時30分から始まった試合は、延長17回、3時間37分の死闘の末、決着した。横浜高が9-7で勝利し、エースの松坂大輔投手(現・西武)は250球を一人で投げきった。三上アナはもう、昼食どころではなくなっていた。

「そこから僕はもう野球に魅了されてしまい『松坂ってすごい』『横浜高校ってすごい』と刺激を受けました。準決勝、決勝というのは、もう説明不要ですよね。決勝で見せたノーヒットノーランの瞬間、バックスクリーンに向かってやったガッツポーズ。甲子園ってすごい、僕も野球をやりたいと思って、始めました」

 同じ神奈川県、それも“隣町”ともいえるような距離にある学校に現れたスーパースターの存在が「今思うと、僕のターニングポイントでした」と未来を導いてくれたことに感謝する。松坂の甲子園での躍動を報じるニュースやスポーツ番組を細かく見た。スポーツ新聞も買って読んだ。決勝戦翌日の新聞は今でも大切に自宅の棚の引き出しにしまってある。松坂モデルのグラブも買ってもらった。中学は野球部に入り、背番号1を目標に、野球に没頭する日々が始まった。

 三上アナは甲子園出場こそなかったが、高校も野球を続けた。早稲田大学に進学後も準硬式野球部に所属。埼玉・所沢に近いところに住んでいた時期もあったため、西武に入団した松坂の登板試合を西武ドーム(現メットライフドーム)へ観戦しに行っていたという。スポーツの魅力を言葉で伝えたいという思いが湧き出て、テレビ朝日に入社。スポーツ番組や野球実況として活躍するきっかけとなった。

 転機となった夏から20年後の2018年。“共演”の舞台がやってきた。中日1年目だった松坂がオールスターでファン投票選出されたのだ。中継はテレビ朝日。三上アナは第2戦の実況担当を任された。憧れの人が登板する試合を実況するかもしれない……高鳴る鼓動を抑えるのに必死だった。とにかく準備、準備、準備……。憧れではあるが、ファン目線で中継を届けるわけにはいかない。この年、高校野球100年という節目とあり、出場選手たちには高校時代のことを振り返ってもらっていた。見てもらった野球ファンに失礼のないように、さらに準備に熱が入った。「用意した松坂さん用の資料の紙は文字でビッシリになりました」と振り返る。

 しかし……松坂は球宴第1戦に先発することが決まった。少しだけ残念な気持ちになったが、事態は急展開。自身が実況する第2戦の放送席に松坂がゲスト出演してくれることになったのだ。

松坂登板日が一日ずれる…しかし、ゲスト出演することになり放送席で隣に憧れの人が

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