バットの形はどうやって決まった? 当初は角材などからスタートしたバットの歴史
MLB通算打率.366タイ・カッブ型のグリップは日本にも浸透
歴代の大打者は、自分の打撃スタイルに合わせたバットを使用してきた。
MLB史上1位の通算打率.367を誇るタイ・カッブは、グリップの部分がなだらかに太くなった形状のバットを使用した。グリップエンドを重くすることで、バットスイングをコンパクトに速くするためだ。「50センチ先に転がしたヒットと、50メートル先に飛ばしたヒット。この両方が同じヒット一本として扱われることは、野球のルールの最も素晴らしい部分である」という名言を残したカッブならではのバットだ。
タイ・カッブ型のバットは、日本でも広く使用された。日本ではタイ・カッブ型のグリップに加え、太いヘッドの「すりこぎバット」が考案され、福本豊、若松勉、正田耕三など「安打製造機」タイプの選手が多く使用した。「すりこぎバット」は、ヘッドが振り抜きやすく、シャープな打球を打つことができた。
反対に、ベーブ・ルースは、グリップエンドが細いバットを使用した。ルースのバットは重心が先の方にあり、強く振りぬくのに適した形状をしていた。ただ、重さは1キロもあり、現在の打者が使用するバット(930グラム前後)よりも相当重い。188センチ98キロと、当時のメジャーリーガーとしては抜群の大型だったルースは、パワーも抜群だったのだ。
「物干しざお」といわれた長大なバットを振り回したのが、初代ミスター・タイガースと呼ばれた藤村富美男(阪神)だ。終戦後「川上(哲治)の赤バット、大下(弘)の青バット」が、子どもたちの人気になったのを見て、藤村もバットでアピールしようと考えた。そこで、バットメーカーにこれまでだれも使わないような長いバットをオーダーし、「物干し竿」と称して使い始めた。2014年、野球殿堂博物館が「名選手のバット展」を開催した際に、藤村のバットは他の名選手のバットとともに、展示された。