平成最初と最後の優勝から令和時代の指導へ 山田新監督が感じた東邦野球の変化

指導する東邦・山田祐輔新監督【写真:荒川祐史】
指導する東邦・山田祐輔新監督【写真:荒川祐史】

平成最初と最後の甲子園優勝、前監督の“変貌”に見る時代に合った指導法

 一般企業を経て2016年にコーチとして東邦に復帰。現役時代から8年ぶりに帰ってきた母校のグラウンドでは、前監督の“変貌”ぶりに驚かされることも多かった。「私の頃はめちゃめちゃ厳しかったので。監督の言葉には『ハイ!』と返事するくらいで、グラウンドでは会話らしい会話をした記憶がなかった。久しぶりに帰ってきたら厳しいなかでも雰囲気がずっと良くて、選手がのびのびやってるなと。監督に対してもフレンドリーというか、親しみやすさが増していて、逆に『こんなに楽しそうにやっていて大丈夫なのか?』とも感じました」

 指揮官の変わりように当初は戸惑いもあったが、コーチとして経験を積むうちにその真意にも気づいたという。「監督に直接聞いたわけではないですが、時代の変化、子どもたちの変化に柔軟に対応していたのかなと。私の頃よりも性格のいい子、信頼できる選手が増えてきた(笑い)。その最たる例が(現中日の)藤嶋ですかね。最後の1年しか指導していませんが、圧倒的な実力を持ちながら細部まで気が回り、ムードメーカーでありながら謙虚にもなれる。こんな選手がいるんだと思いました」

 目指す野球は“森田イズム”の継承とその先鋭化だ。「年齢的にアプローチの仕方も違う。より多くコミュニケーションを取ってやっていくことかなと。私のときは控え選手がレギュラーに対して強く言える環境があった。だから強かったとも思うし、控えの子のモチベーションも上げながら、どうやったらチーム全体のレベルが上がるかを考えてやっていきたい」。ときに選手の恋愛相談にも乗るなど、グラウンド内外で密なコミュニケーションを図り、勢いや爆発力のある東邦野球を引き継いでいくつもりだ。

 16年間の監督歴で春夏通算7度の甲子園出場、昨春には同校5度目の選抜優勝を飾った前監督の後任にプレッシャーはないのか。「代替大会は無観客で、甲子園もない。それでも背番号を背負った最後の大会というのは変わらない。プレッシャーは始まってみないとわかりませんが、勝ちにこだわってやっていきたい」。時代に合わせた指導法で、平成最初と最後の甲子園で優勝校となった東邦。前例のないなかでの初舞台にも気負うことなく、青年監督が令和時代の東邦野球を築いていく。

(佐藤佑輔 / Yusuke Sato)

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