イチロー、パンチ、ディンゴ、王天上… 個性豊かなプロ野球「登録名」の歴史

セ・リーグ初代本塁打王の小鶴誠は一時期「飯塚誠」を名乗った

 中にはプロ野球に進んだことを知られたくないために、本名と異なる選手名を名乗った例もある。1950年、セ・リーグ初代の本塁打王に輝いた松竹の小鶴誠は1942年に名古屋軍に入団したが、軍需工場からのプロ入りで、軍部や地元にそれを知られないようにするため出身校の飯塚商業にちなんで一時期「飯塚誠」を名乗った。

 野球史家泣かせなのが、中利夫だ。1967年の首位打者で、通算1820安打、中日監督も務めた名選手だが、1955年、入団時は「利夫」、1964年に「三夫」、1965年に「暁生」と改名。中日監督時代は「利夫」。コーチ時代は「登志雄」だったこともある。解説者としては「利夫」だった。

 松坂世代の後藤武敏も中々、面白い。2003年の西武入団時は「後藤武敏」、そこから12シーズンそのままだったが2012年にDeNAに移籍後、2015年から「後藤武敏 G.」、2016年は「後藤 G 武敏」、2017年は「G. 後藤武敏」、2018年は「G 後藤武敏」と登録名を変えた。Gの位置と「.(ピリオド)」の有無だけで毎年登録名を変えている。Gはゴメスという愛称に因んだもの。

 外国人選手の場合は、日本人に読みやすいように球団側で名前を変えることがしばしばある。1967年南海に入団し、のちには南海、阪神の監督も務めたドン・ブラッシンゲームは、日本人には読みにくいため「ドン・ブレイザー」と登録された。

 1975年、広島に入団したスイッチヒッターのリッチー・シェインブラムも「シェーン」という名前で、1983年、阪急に入団したグレッグ・ウェルズは、アメリカ時代のニックネームから「ブーマー・ウェルズ」、1986年に同じく阪急に入団した救援投手のブラッド・レスリーもニックネームから「アニマル・レスリー」と登録されている。2000年に中日に入団したデーブ・二ルソンは出身地オーストラリアの野生犬ディンゴにちなんで「ディンゴ」となった。

南海のフランク・オーテンジオは語感が似ているからと「王天上」と登録

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