高橋慶彦氏が語る広島黄金期の実像 「みんな古葉監督と同じ考え方だった」
主砲の衣笠氏が自らセーフティスクイズも…浸透した古葉野球
古葉監督による教育は、チーム全体に浸透していた。「1番強い時のカープには、ほとんどサインもなかった」という。特にレギュラークラスはみんな、サインが出るまでもなく、自ら状況を判断し、最適な作戦を遂行することができた。
たとえば、同点で試合終盤を迎え、無死二塁で高橋氏が打席に入ったとする。「味方の救援投手陣の顔ぶれから見て、ここで1点取れば勝てる。ならば、走者を三塁へ進めることが先決だ。しかし、相手投手と自分の力関係を考えると、ライト方向へ進塁打を打つのは難しいかもしれない」と状況判断。セーフティバントを選択したことがある。走者も同じことを考え予測しているから、びっくりされることはなかったという。主砲の衣笠祥雄氏がノーサインでセーフティスクイズを決めたことまであった。
「代打陣にしても、点差をつけられている時はこの人、一打逆転の時はこの人、という風に性格によって使い分けていた。代打も、代走も、リリーフ投手も、みんなが自分の出番を読んで準備していた」とも。
ピンチで内野陣がマウンドに集まった時も、全員が古葉監督の考えを共有していたから、投手の顔色を見て、持ちこたえられるかどうかを判断することができた。「投手コーチがベンチを飛び出してマウンドへ駆け寄ってくるのを、『大丈夫、大丈夫、まだ大丈夫だから!』とみんなで制したこともあったよ」と笑う。
これほど野球の本質をたたき込まれたチームだから、1979、80、84年に日本一に輝いたのも必然的だった。古葉監督の丹念な選手教育のたまものである。「重箱の隅をつつくような感じ。懇々と野球を教えてもらった。要は根気の問題やけん。教育って、そんなものだと思うよ」。ふと、「球界に限らず、今の社会は教える側の根気が欠けているんじゃないのか?」と疑問を投げかけるのだった。
(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)