救援一筋の燕・五十嵐を成長させた異国での経験 勘違いが生んだまさかの「先発」

軍の検問所で叩き起こされる深夜のバス移動…環境面でもたくましく

 米国でマイナーも経験していた五十嵐は、環境面でもたくましかった。チームは3連戦を終えると、夜通しかけてバスで次の都市に向かう。ウインターリーグが行われているメキシコ北西部のソノラ州、シナロア州には麻薬カルテルが複数存在。各チームの本拠地も、メキシコから米国に麻薬を密輸するルート上にあることから、バスで北上する際には必ず軍の検問所で叩き起こされ、荷物のX線検査を受けなければならなかったが、文句を言うことはなかった。

 それはマウンドでも同じだった。メキシコの球場では投手が投げる直前までラテンの音楽が鳴り響き、投手がモーションに入り、足を上げない限り、音楽が切られることはない。だが五十嵐は「最初は気になったけど、すぐに慣れた」と、爆音も気にせず、マウンドに立っていた。

 ナイター後の食事も、深夜営業のレストランが限られるため、タコスばかりの生活が続いた。それでも「美味しい店を探すのが楽しみ」と一貫してマイペース。メキシコライフを楽しんでいた。メキシコでは水道水を飲むとお腹を下すため、歯磨きも飲料水を使う徹底ぶりだった。

 チームの連敗が続くと、監督が暗いムードを一変させようと、試合後のロッカーでウイスキーを振る舞い、選手たちが回し飲み。翌日の勝利を誓い合ったこともあった。チーム内でベテランだった五十嵐もボトルに口を付け、その場を盛り上げていた。郷に入っては郷に従え――。初めて足を踏み入れた異国でも難なく実践してみせた。

 日本に帰国後も、国内でメキシコ料理のレストランを目にするたびに「メキシコ懐かしいな?」と話していた五十嵐。環境にも、予想外の先発にも動じなかったそのタフさがあったからこそ、競争の激しいプロの世界で、23年間という長い間、現役を続けることができたのだろう。

(福岡吉央 / Yoshiteru Fukuoka)

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