巨人・坂本勇人が放った偉業への1本目 許した元中日左腕の“心残り”とは?
敬遠の指示も「作戦変わらないかな」と強いボール球を投げ込んだ
落合博満監督時代の黄金期を左の中継ぎとして支えた高橋氏。2016年に阪神にFA移籍し、2019年限りで現役を退いた。すべてリリーフで通算532試合登板。特に左の強打者相手に重宝されただけに、坂本との対戦は数えるほどしかない。それでも「バッティングはいいものを持っているとずっと思っていました。特にインコースを打つのが上手かった印象があります」と振り返る。
あの一打が、結果的に偉業達成の第一歩に。ただ高橋氏にとっては、坂本の存在を意識する以前に、勝ち越しを許した悔しさが胸の内を占めていた。今でも、ひとつだけ“心残り”があるという。
「左打者を抑えるためにやってきて、当時は調子もよかったんですよね。だからこそ、左打者と勝負させて欲しかったなって。その葛藤はマウンドでもありました」
左の大砲2人との対戦。特に小笠原は抑えているイメージも強かった。ベンチからの指示は敬遠だったが「この球を見て作戦が変わってほしいな」と強いボール球を投げ込んだ。それでも新たなサインが出ることはなく、ボールを投げ続けた。
もし、満塁策をとらずに勝負していたら――。勝負の世界に、“たられば”はない。試合を決める1安打2打点が記録されたという事実があり、プロ初の快音を放った18歳は、13年後に名球会入りを果たした。ただ言えるのは、高橋氏にとっては別の思いを呼び起こさせる“特別な一打”だったということ。打者にも、投手にも、忘れられない記憶として刻まれている。
(小西亮 / Ryo Konishi)