南海買収で幻に終わった神戸移転とは… 常勝ホークスの礎を築いた男が語る真相
「やるからには日本一のチーム、経営を目指す」
かつて南海と激しい戦いを繰り広げた西鉄ライオンズ(その後、太平洋クラブ、クラウンライター)が福岡の地を去り10年が経ち、地元民はプロ野球を求めていた。さらにダイエーが福岡で球団を持てば九州全体の下地を引き、アジア進出に向けても格好の宣伝となる。
さらに、当時のパ・リーグ会長だった堀新助氏が口にしていた「これからの野球は地方の時代になっていく」という言葉も“武器”にしてデータを交え中内社長を説得すると、思いのほかすんなりと福岡移転の話は進んでいった。
南海から買収に向けた条件は3つ。(1)ホークスの名を残すこと(2)杉浦忠監督をそのまま起用すること(3)選手、首脳陣、球団社員は希望するものを全員連れていくこと。これら、すべての条件を飲み、さらに社員にはモチベーションを上げるため給料は現状維持ではなく1.2~1.5倍を提示するなど中内社長も全面的にバックアップしたのだ。
「ああ見えて中内さんは柔軟性があった。2か月はかかりましたが何とか説得することができた。やるからには日本一のチーム、経営を目指すと大きな目標を立てていた」
本拠地は平和台球場に決まり、いよいよ福岡ダイエーホークスがスタートを切ったが、中内社長はより壮大な計画を実現させるため動いていた。巨人の本拠地・東京ドームを超える、日本初の開閉式屋根を持つ福岡ドームの誕生だった。
(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)