落合氏加入で変更の噂、後輩・中田翔…元日ハム・田中幸雄氏が語る背番号「6」への思い

日本ハムで活躍した田中幸雄氏【写真:荒川祐史】
日本ハムで活躍した田中幸雄氏【写真:荒川祐史】

2007年に2000安打を達成して引退するまで17年間背負った「6」

 エース番号やひと桁背番号は一流選手の証。代名詞ともなる背番号は、選手にとって特別な意味を持つ。日本ハム生え抜き選手として初めて2000安打を達成した田中幸雄氏が、背番号6への愛着と現在6を背負う中田翔内野手への思いを語った。

 入団以来5年間背負った背番号37が「6」に変わったのは1991年。田中氏にとって待望の番号だった。「ショートと言えば6じゃないですか。中学校、高校とずっと6番を付けていましたし」。柏原純一氏が85年まで付けた後、パットナム、イースラーと外国人選手が続き、90年には空き番号になっていた。高卒3年目の88年から3年連続全試合出場していた田中氏は思い切って「6番、欲しいのですが、というようなことを伝えました」と球団に自らの希望を伝え、認められた。

「1軍でたくさん試合に出られるようなった時に、その番号が空いていたというのは運が良かったです。最後まで6番を付けられたことは、本当にありがたかったですし、うれしかったですね。そこは自分のこだわり。やっぱり好きな数字です」。2007年に2000安打を達成して引退するまで17年間背負った6に対する思い入れはたっぷりで、これまで乗った愛車のナンバーは全て6。私生活でも数字を選択する場面があれば、必ず6を選ぶ。

 実は過去に一度だけ背番号変更が噂されたことがあった。96年オフに落合博満氏が巨人から移籍してきた時だ。「周りでそういう話は飛び交っていましたが、球団から『変えてくれないか』と言われたことはないです。落合さんが僕に気を遣ってくれて、違う番号(3番)を選んでくれたのかもしれませんね」と笑顔で噂を否定した田中氏。同時に「もし変わるなら従うしかないと思っていました」と心の準備をしていたことも明かした。

 引退時には永久欠番になるのではと話題になったが、これも事実とは異なる。「周りがいろいろ言っていましたね。別にそこまですることはないかなと思って聞いていました。会社が決めることですし、僕は全然関与していません」と笑い飛ばす。

引退した翌年からは中田翔が番号を受け継ぐ

RECOMMEND