震災43日後に再始動、翌年選抜へ 生徒の「野球、やりてぇ」に応えた石巻工監督の覚悟【#あれから私は】

当時の記事を読む松本嘉次氏【写真:高橋昌江】
当時の記事を読む松本嘉次氏【写真:高橋昌江】

2012年選抜、阿部翔人主将の選手宣誓は涙と感動を誘った

 2011年夏は2、3回戦を勝ち上がったが、4回戦で敗退し、3年生は“引退”した。その秋、石巻工は宮城県大会決勝に進出し、東北大会に初出場。県大会準々決勝を前に台風15号でグラウンドが再び水没する災難を経てつかんだ結果だった。そして、震災から1年となる翌春には21世紀枠でセンバツ出場。春夏通じて初の甲子園で、当時の主将・阿部翔人さんは選手宣誓まで引き当て、「人は誰でも、答えのない悲しみを受け入れることは苦しくてつらいことです」「その苦難を乗り越えることができれば、その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています」といった言葉で人々の涙と感動を誘った。

「3・11」から10年、センバツ出場から9年。松本理事長は言う。「力になったかどうか、それは周りが判断すること。でも、10年が経っても、いろんな人と話すと、あの時の話になる。それって、力になっていたということなんだろうね。その人たちにとっての印象的な出来事、楽しみになったかもしれない。そう思えば、少しは力になったのかなという気がしますね」

 当時の部員たちは26、27歳になった。「『あの子たちに何か言うことありますか』って聞かれることがあるけど、何にもねぇ。立派だもん、立派」。

 2011年の主将は仙台六大学リーグの東北工大で野球を続け、大学院を経て東北地方で最大手の建設会社に就職。後輩も続いている。マグロの遠洋漁業で船に乗っている人、県や市の職員になった人、自衛隊員になった人もいる。選抜出場メンバーでは、エースだった三浦拓実さんが東北福祉大からクラブチーム「東北マークス」に入り、現在も現役だ。2年生で唯一のレギュラーだった伊勢千寛さんは富士大を経てJR東海へ。昨季で引退したが、伝統ある社会人野球チームでプレーした。左腕投手の阿部剛司さんは社会人野球の日本製紙石巻で3年間プレーし、現在は社業に就いている。

 石巻の水道局で働く教え子は2019年の東日本台風で甚大な被害を受けた宮城県伊具郡丸森町の復旧に従事した。市からの派遣が決まった時、真っ先に希望したのだという。松本理事長は「えらい!」と褒めた。2012年の主将・阿部さんは日体大を卒業後、石巻高などで保健体育科の非常勤講師を務め、5度目の採用試験で合格。この4月、宮城県内の高校に赴任する。地元で海苔の養殖業に励む人、家業を継いだ人、小学校や高校の教員になった人、そしてなんと、マジシャンになった人まで!

「みんな、すごい頑張ってんだっけ。今、こうやっていますよとか教えてくれるの。マジシャンはびっくりしたけどね(笑)。みんな、それぞれで頑張っているんだね。大したもんだ」

コロナ禍の昨年、全国で唯一県大会の先になる東北大会を実施

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