津波に飲まれた校舎は震災遺構に 「あづまっぺ」から再スタートした気仙沼向洋野球部【#あれから私は】
新校舎が2018年7月に完成、野球部は専用球場で練習に励む
気仙沼向洋は11月に仮設校舎が完成し、気仙沼西のグラウンドで練習を続けた。17年4月、本吉響の小野寺氏が8年ぶりに気仙沼向洋へ、気仙沼向洋の川村氏が本吉響へ入れ替わる形で異動した。仮設校舎は約7年半使用され、新校舎が完成したのは18年7月。同時に広々とした専用球場で野球ができるようになった。その秋、気仙沼向洋は小野寺氏のもと、12年以来となる秋季県大会に出場。強豪・利府から勝利を挙げた。
旧校舎は震災遺構となり、昨年3月10日、「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」がオープン。3階に突っ込んだままの車、散乱した書籍、津波に押し流されたロッカーには生徒の作業着が入ったまま。奥行きある箱のようなディスプレイのパソコンが転がっている。津波で破壊された校舎は時が止まっているが、野球場があった場所はパークゴルフ場に姿を変え、人々の笑い声が響く。屋上から見える海は、牙をむいたと思えないほどきれいだ。
小野寺氏の気仙沼向洋は12人の3年生が卒業し、1、2年生で14人。新入生の入部を待っている。現在は副部長を務める川村氏の本吉響の選手は1年生がゼロ、2年生が3人。しばらく連合チームが続いている。小野寺氏が言う。
「川村先生が宮城大会決勝まで行ったので、その上を目指してやっていきたいと思っています。ただね、うちだけよければいいわけではない。私は昔からこの地区を盛り上げていきたいと思っているんです。志津川も本吉響も気仙沼も東陵も。石巻地域も内陸の地域も、(少子化などで)どこの学校も大変。でも、何とかしたい。新型コロナウイルスや震災の影響で大変ですが、何とか盛り上げたいと思っています」
宮城県では今年、公立高校入試(全日制)の受験倍率が初めて1倍を下回り、状況は厳しいが、川村氏も「三男先生と同じ思いですよ」と力を込める。11年夏の宮城大会開会式。気仙沼向洋は前年に手にした準優勝盾を再び、贈られた。流失した“本物”は瓦礫撤去の際、業者が発見。今、新校舎の昇降口を入ると、2つの準優勝盾が並んでいる。人口の減少と向き合いながら地域の活気を目指して――。気仙沼向洋は航海を続けていく。
(高橋昌江 / Masae Takahashi)