仙台一、OBが誓った“約束の10年目” 現役部員らと黙祷「俺らの分も頑張れ」【#これから私は】
昨夏の宮城県独自大会に背番号「12」でベンチ入りしていた大友剛さんが東大に現役合格
「私たちの代は3月11日を最後にここで野球ができませんでした。ここが復活したと聞いた時は嬉しかったです。時々、東部道路を車で通りますが、みんなが頑張っているところを見ると、『俺らの分も頑張れ』と思っています」
17年に赴任してきたOBの千葉厚監督は10年前、気仙沼で監督をしていた。地震発生時、部員は校外をランニングしていたが、気仙沼という土地柄、学校を離れる時は携帯電話を持たせていた。すぐに学校に戻るように連絡。津波が来る前に全員が戻ってきた。高台にあった校舎から海は見えず、「メキメキメキという音が聞こえ、土埃が立っていた」と振り返る。その後、気仙沼湾は火の海に包まれ、空が赤く染まった。しばらく経って、自身の入学と同時に完成した母校グラウンドの状況も確認した。
「あの状態から今のように使えるとは想像していませんでした。このグラウンドで野球ができない時期を過ごした卒業生もいる。この幸せが続くといいなと思いながら、手を合わせました」
仙台一は県内屈指の進学校。10日には昨夏の宮城県独自大会に背番号「12」でベンチ入りしていた大友剛さんが東大に現役合格を果たした。昨年、一浪してサクラを咲かせた鈴木健さん(東大硬式野球部)、現役合格を手にした関戸悠真さんに続いた。「二兎を追う」を掲げ、「東大がすべてではありませんが、難しいことに挑戦してほしい。学問にも野球にも全力を尽くしてほしいと思っています。学問と野球、どちらも100パーセントの文武両道です」と千葉監督。昨夏は仙台育英に屈したが、4強入り。昨秋は県8強入りしている。準々決勝で敗れたのが、19日開幕の選抜大会に出場する柴田だ。
柴田戦は1-2で終盤に入ったが、突き放されて1-6で敗戦。柴田は東北大会決勝まで進み、選抜切符をつかんだ。もしも、あの時……。「選抜大会が近づき、ますます、狙える位置にいたんだなという実感が出てきています」と佐藤颯大主将(2年)。その悔しさをバネに冬の練習に励んできた。昨年6月から元楽天の枡田慎太郎氏がコーチとして指導しており、その打撃論を伝えられている。佐藤主将は「今、当たり前に野球をできていることは幸せ。今年の春は東北大会に出場し、夏は甲子園を目指したい」と意気込む。
1923年夏の「第9回全国中等学校優勝野球大会」で県勢初の全国舞台に立った仙台一。1950年以来、甲子園出場がない古豪となっているが、千葉監督が「杜の王者奪還大作戦」と名付けたプロジェクトのもと、地域、保護者、スタッフも一枚岩になり、聖地への歩みを進める。「3・11」の津波でグラウンドが被災してから10年。しばらく遠ざかっていた硬式野球部からの東大合格者を3学年連続で輩出。甲子園の扉を開く日も、そう遠くないかもしれない。
(高橋昌江 / Masae Takahashi)