選抜での選手宣誓から9年… 超進学校の副部長になった石巻工元主将が伝えるモットー
仙台一は野球部から3学年連続で東大合格者を輩出している
石巻工から日体大に進学し、保健体育の教員免許を取得。大学卒業後、石巻で4年間、非常勤講師として勤めた。3年目は石巻西、4年目は志津川でも非常勤講師を掛け持ちしながら教員採用試験に挑み続け、昨年の5度目の挑戦で合格を掴んだ。初任の高校が仙台一に決まった時は「まさか」と驚いたという。県内屈指の進学校である仙台一に新米教師が赴任するのは異例。実際に「初任で一高はなかなかないよ」と同僚の先生方から声をかけられているようで、「そんなにプレッシャーをかけないでほしいな、と」と苦笑する。
学校行事などあらゆる活動のすべてを生徒の手で行う教育環境は「一高のスタイル」という。「全部、生徒が主体。教員はあまり踏み込まない印象。ただ、それは生徒と教員の信頼関係があってできるスタイルだと思うので、すごいなと感じています。生徒はこちらの言ったことの意図をしっかり汲んでくれる。なので、中途半端なことは言えません」と気を引き締める。部活動も生徒主体。この日もグラウンドに着いた阿部副部長に千葉監督が「最初にバッティングをやるって」と部員が伝えてきた流れを教えていた。休日練習では打撃投手を務めるなど、部員が立てたメニューにそってサポートしたり、助言したりしている。仙台一は昨夏、34年ぶりに4強入り。昨秋は県8強と上位に進出。「成績はチェックしていたので、決まった時は楽しみでした」。
学業では硬式野球部から現役で2年連続、3学年連続で東大合格者を出している。昨年は一浪で鈴木健さん、現役で関戸悠真さんがサクラを咲かせた。今年は投手だった大友剛さんが現役合格。クラス担任でもあった千葉監督は「成績が高かったわけではないが、勉強に対する意識が他の生徒よりも高かった。コツコツやっているのは東大向き」と感じ、コロナ禍による休校期間中に「東大を目指さないか」と電話した。他大学を志望していた大友さんは「どうしようかなと思ったけど、考えているうちに東大しかないと思いました」とチャレンジ。昨夏の代替大会準決勝で敗れた後のミーティングで「東大を受ける」と全員の前で公言し、勉強に励んだ。
千葉監督によると、学校としても東大に挑戦する生徒が少なくなっていたという。「(硬式野球部も)しばらく閉ざされ、勝手に諦めていた。長い、長いトンネルに入っていましたので、昨年合格した2人の存在は本当に大きいです」。2018年のエース・鈴木さんが久しぶりに東大に挑み、一浪で合格し、東大硬式野球部に入部。今春のリーグ戦でデビューした。大友さんにとって関戸さんは中学の先輩でもあり、「正直……。失礼ですが、現役は難しいだろうなと思っていたんです。合格して、尊敬するようになりました(笑)」。身近な先輩に刺激を受けて現役合格を果たした大友さんは、鈴木さんに続いて硬式野球部の門を叩くことになっている。
東大に限らず、レベルの高い国公立や有名私大、医学部などさまざまなジャンルに挑んでいる仙台一。そんな学業と野球の「二兎を追う」をモットーにするチームにやって来た甲子園経験者の阿部副部長。今はまだ、仕事を覚えて慣れることに精一杯だが「甲子園がどんなところかということを言えるのは強み」と経験を生かしながら、生徒に寄り添っていくつもりだ。
「石巻工は周りに支えられ、頑張れる環境を作ってもらっての甲子園出場でした。震災も背景にありました。そういう中でも頑張ってきてよかったと思えるのが甲子園だった。その環境や場所を与えたいと思って教員になったので、それを目指すことの大切さを伝えたいですね」
仙台一の硬式野球部のグラウンドは海から3キロほどしか離れておらず、東日本大震災の津波では瓦礫が押し寄せ、約1年間使用できなかった。そんな過去がある学校で教員として、指導者としてスタートを切った石巻市出身の阿部副部長。新たな風を吹き込ませ、再び、聖地に戻る時に向かって邁進する。
(高橋昌江 / Masae Takahashi)