野球と勉強は学び方次第で「同等の価値」 元横浜投手監督が負けても胸を張れる理由

西城陽・染田賢作監督(右)【写真:市川いずみ】
西城陽・染田賢作監督(右)【写真:市川いずみ】

04年に自由獲得枠で入団も在籍4年で現役引退、乙訓部長時には選抜出場後押し

 指揮を執って3年目の夏はベスト8で敗退。まだまだ壁は高かった。24日に行われた京都大会準々決勝。元横浜(現DeNA)投手の染田賢作監督率いる西城陽は東山に2-10の7回コールド負けを喫した。試合後、“元プロ監督”は悔しさをにじませながら、一緒に過ごしたナインとの2年半の思いを巡らせた。【市川いずみ】

 他校の指揮官と比較しても、183センチという体格の良さが目立つ。奈良県出身の染田監督は郡山で3年時に甲子園に出場。同志社大に進学すると、4年生だった2004年には関西学生リーグ史上初の完全試合を達成するなどの活躍を見せ、その年のドラフト会議で横浜ベイスターズに自由獲得枠で入団した。しかし、プロでの1軍登板はわずか2試合。1勝も挙げることなく2008年に戦力外通告を受けた。

 たった4年のプロ生活を終え、選んだ道は指導者だった。京都府の教員採用試験に合格し、2015年に乙訓に着任。2018年春には左右の2枚看板を育て、選抜出場の立役者となった。指導者としての甲子園は既に経験済みだが、監督として指揮を執ったのは西城陽に着任した2019年から。

 そして、この夏。「野球以外の部分もちゃんとできる選手たちだった」と、監督として初めて3年間見守った選手たちとの最後の夏を終えた。

「ずっと野球で生きていくわけではないんでね」。4年間のプロ野球人生が、大切なことを教えてくれた。プロとして過ごした時間より、指導者として過ごしてきた時間の方が長くなってきた中で、高校野球を通じて得られるものを実感しているという。

「高校野球は、他の人の野球人生をかけてやらないといけないので、教育にすごくいいなって思っています。色々なものを背負ってやるので、いい加減なことはできない。責任感など、野球を通じて様々なことを学べるすごくいい機会だと思っています」

次なる夢を見つけた井上主将「染田監督と野球ができてよかった」

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