甲子園で松坂大輔以来の「コール」を受けた12年前の準V右腕 今実感する“財産”とは…
2009年夏の甲子園、中京大中京との決勝は「人生が変わる試合」
何かが起きる。見えない力が働いているのか。そう思ったのは、4番打者の打席だった。2球目を打ち上げて三塁へのファウルフライ。試合終了かと思われたが、中京大中京の三塁手が打球を見失ってファウルとなった。マウンドで汗を拭う堂林の表情からは余裕が消えた。続く3球目に死球を与えて降板した。
日本文理打線は中京大中京を呑み込み、甲子園の観客も味方につけていた。5番が四球を選んで満塁となって、6番の伊藤さんが打席に入った。球場からは「伊藤コール」。特定の選手の名前が沸き起こるのは1998年に春夏連覇を達成した横浜高のエース・松坂大輔以来だったという。
熱狂するスタンドとは対照的に、伊藤さんは不思議な感覚だったと振り返る。「応援が聞こえず、自分の名前だけが耳に入ってくる。信じられない攻撃をしているのに、何も感じず緊張もしていなかった。ボール球に手を出さないようにと頭の中を整理できていたし、ボールもよく見えていた」。変化球が2球続いた3球目。狙っていた直球を振り抜く。レフト前へ運んで2人の走者を返した。最終的には1点及ばず、準優勝に終わった。それでも、伊藤さんの心に広がったのは、充実感と達成感だった。
この激闘は甲子園の歴史の新たな1ページとなり、今も語り継がれている。伊藤さんにとっても「人生が変わる試合」だったが、その感覚が強く芽生えたのは現役を引退してからだという。
「あの大会で打者との駆け引きを学んだし、大舞台を経験したので大学や社会人の大会でも心のゆとりはあったかもしれない。ただ、あの時の経験を財産と感じているのは2年前からですね」