伝説の「10・8」決戦にあった舞台裏 巨人スコアラーの地位が高まった日

1994年、勝った方が優勝という中日との「10・8」決戦、伝説が生まれる

 選手はその1球、1打席に人生をかけている。「自分は選手が生活をかけて戦っているという意識が低かったかもしれません。どこかで1軍の選手に食べさせてもらっている感覚でいました。実際のミーティングでは選手はその日、その日で結果を出さないといけないという必死さがあった。その日から、スイッチが入りました」。

 観察眼が研ぎ澄まされた。選手の知らない情報を集める努力をした。投手の傾向から、球種の分析、状況によって変わる選手の特性、投手のマウンド上でのクセ……。首脳陣や選手から質問されたらすぐに答える。一歩ずつ、信頼関係を築いていった。そのミーティングの様子はずっと長嶋茂雄監督も見ていた。

 翌1994年。中日と首位争いを繰り広げ、勝った方が優勝という「10・8決戦」を迎えた。相手先発は苦手の左腕・今中慎二投手だった。長嶋監督から攻略方法を聞かれた三井氏は左腕のあるクセを明かした。

「手首です。今中投手は本当にカーブが厄介だった。でも、ずっと見ていると直球とカーブの違いが投げる前に分かりました。当時の投手たちというのは、ボールをグラブにセットするとき、手首が見えていましたから」

 左手首が真っすぐ立っている時は直球、内側に少し曲がっていればカーブ……そのようなクセを見抜いた。試合前のミーティングでそれを選手たちに伝え、「狙い球はどちらでもいい。でも両方、追いかけてはいけない」と付け加えた。全員が片方に絞ると、相手はすぐに気づいてしまう危険性があったからだ。

 結果は周知の通り。巨人は鮮やかな猛攻で今中を攻略し、リーグ優勝を果たした。そして、転機が訪れた。長嶋監督に翌年から試合中にベンチに入るように指示を受けた。三井氏の記憶の中では、スコアラーがベンチに“常駐”するようになったのは、プロ野球の世界では初めてのこと。スコアラーの地位を高めたといっていい。

「最初は僕がベンチに入って何をするんですか? と聞いてしまいました。長嶋監督は『お前が打者に指示を出しなさい。打撃コーチが知らないことをお前は知っているから、それを選手に伝えてほしい』と。それまではスコアラーの仕事って、あくまで記録係みたいな印象でしたし、認められていなかった。それをベンチに入れていただいたこと、価値を高めていただいたと思っています」

 その後の仕事は忙しかった。新しい発見も多かったが、ミスターの側につくことは、飛んでくる質問にすぐに答えられるよう準備と広い視野が求められた。

「次はどうなる? 相手投手は誰が出てくる? と監督が聞いてくる一方で、片やベンチで戻ってきた選手たちにも『今の僕の打席どうでしたか?』と聞かれて、答えを出していました。ここは“戦場”だなと思いましたね」

 選手からも厚い信頼を得るようになり、松井秀喜氏、高橋由伸氏、清水隆行氏、阿部慎之助(現巨人2軍監督)は必ずと言っていいほど、試合前から三井氏のアドバイスを受けていた。強打者たちだけでなく、多くの選手がスコアラーを頼るようになった。選手たちの野球観は変わり、知識や情報も増えてきたように感じていた。

 だが、2002年に就任した原辰徳監督からの言葉も、スコアラーとしてのもうひとつの転機となり、今の自分に活かされている。(後編へ続く)

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(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

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