伝説のバックスクリーン3連発浴びた巨人捕手の後悔 忘れられぬ王監督の“鬼の形相”

現在は小・中学生を対象にした野球塾で子どもたちを指導する佐野元国氏【写真:編集部】
現在は小・中学生を対象にした野球塾で子どもたちを指導する佐野元国氏【写真:編集部】

苦い経験から得たのは「チャンスは逃すな」という教訓、現在は野球塾で指導

 37年経った今、佐野にとって、あの時の出来事はどのように胸に刻まれているのか。槙原と会えば冗談で『お前がボールで入ってこなかったから』『佐野さんがシュートのサインを出すから』と笑って言いあえる仲だが、槙原のことを本心で責めたことはない。聞かれれば、まずは阪神打線を称える言葉が口を突く。

「あれは打った選手たちがすごい。フリーバッティングで3発をバックスクリーンへ放り込めと言われても、そう簡単にはできませんからね。それだけあの年の阪神のクリーンアップは強力だった」

 あの試合の後、佐野はまもなくファームへ行くことになる。その後も1軍で大きなチャンスを掴むことはできなかった。

「もしも山倉さんがマスクを被っていたら、あの3連発はなかったんじゃないかな。明らかに経験不足だった。今みたいに冷静に野球をやっていなかったことが一番のミスでしょうね。冷静な判断ができなかった。マキはあの後、立派なエースになったからいいけど、マウンドでうなだれる槙原の映像を見るたびに『マキ……ごめん』と思うよね」

 1989年の現役引退後は大洋、巨人でコーチを務めた。64歳になった現在は小・中学生を対象にした野球塾「クリス・ベースボールアカデミー」を横浜市内で開き、子どもたちと向き合う日々を送る。現役時代の苦い経験は、少年野球指導にも生かされている。

「チャンスを貰ってもモノにできなかった。それが僕の野球人生。だから子どもたちにはとにかく試合に出たら、結果を残してほしいんだ。それに試合に出ないとわからないことがいっぱいある。いざ打席に立って打たないと。バッティングセンターで本塁打を打って満足するのではなく、試合で打ってほしいから」

 冷静に野球をすることができなったあの試合から、佐野は37年の月日の中で自問自答を繰り返し、多くの答えを見つけた。そのうちの1つに「Never too late」という言葉を送ることがあるという。決して遅くないという意味だ。「12歳や13歳の子がミスをしたって、どうってことないよ。無駄な経験なんてないんだよ」と目を輝かせる。

 バックスクリーン3連発の経験は無駄ではなかった――。そう思えるだけでも、苦い記憶だって、良き思い出に変わっていくのではないだろうか。

○プロフィール
佐野元国(さの・もとくに) 1958年3月6日生まれ、神奈川県出身。横浜高から1978年ドラフト3位で近鉄に入団。85年に巨人に移籍、89年に現役引退。90年から大洋で2軍、1軍バッテリーコーチを務め、谷繁元信を指導。その後、巨人で2軍育成コーチ、1軍バッテリーコーチを歴任し2000年の日本一に貢献した。現在は横浜で「クリス・ベースボールアカデミー」で少年野球の指導にあたっている。

(石川哲也 / Tetsuya Ishikawa)

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