見知らぬ番号から「王貞治です」 イチローの師が受けた“背筋が伸びる”1本の電話
王監督は「勝利への執念が凄まじかった」仰木監督は「一喜一憂しないで先を見据える」
オリックスでは仰木彬監督、ホークスでは王貞治監督との出会いがあった新井氏は、仕えた“2人の名将”の違いをこう語る。
「仰木さんは『野球は勝ったり負けたりのスポーツ』とよく口にしていた。一喜一憂しないで先を見据えるタイプ。勝負が決まった試合ではファンを楽しませる起用もあった。地方での試合は人気者だったパンチ(佐藤和弘)を使い、関西では阪神で長くプレーし、引退間近だった岡田彰布を使ったりもしていました」
「一方で王さんは毎試合、勝つことを目指すタイプ。現役だった巨人時代から、勝つことを宿命づけられていた。毎日勝つことをイメージした采配ですね。役者が揃っていたこともありますが、チームの4番は変えない。勝利への執念はすさまじかったです」
新井氏が打撃コーチに就任した2003年、ダイエーはプロ野球史上最高のチーム打率.297をマークし「100打点カルテット」が誕生。チームも3年ぶり15度目のリーグ優勝を果たし、日本シリーズでは阪神を下して日本一に輝いた。今でも語り継がれる“NPB史上最強の打線”を新井氏は「日本一の打線だったが、決して最初からそうではなかった」と振り返る。そこまでの過程には井口資仁、村松有人、川崎宗則の“覚醒”があった。
(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)