162センチでも「プロになれた」 “最も身長が低い”元オリ選手が磨いた個性

野球教室『ノマドクラブ』を開講した元オリックスの育成選手・坂本一将さん【写真:編集部】
野球教室『ノマドクラブ』を開講した元オリックスの育成選手・坂本一将さん【写真:編集部】

現在は野球塾で指導、子どもや保護者からも厚い信頼を得ている

 小学6年生からは東京の名門「武蔵府中リトル」へ進んだ。世界大会にも出場した。武蔵府中シニアでは日本一を経験した。浦和学院時代は2、3年の夏に甲子園出場。東洋大からセガサミーを経て、BCリーグ石川へ。どこへ行っても、身長は一番低かった。

「いつも周りを見て『体がでかい選手ばかりだな』と思って見ていました。だけど、別に『俺の方が動けるし、スピードも速い。逆に目立てるのではないかな』と思いました」

 1学年で40~50人にいる名門シニアで、存在をアピールするためにはどうすればいいのかを常に考えていた。その思考は名門を渡り歩き、プロに入るまでずっと持ち続けていた。だから「プロになれた」と言う。

「中学のチームは全員で130人くらいですから“目立ち方”を学びました。3年の“1軍選手”になるまでにどうやって監督に名前を覚えてもらえるかを考えてました。ノックを受ける球も人数が多ければ何球受けられるかわかりません。わざと後ろ目に守って、めっちゃチャージして、ジャンピングスローとかしてましたね(笑)。速く動けるというのを見せたつもりです」

 中学生の時の身長は162センチ。最近の中学生は170センチ台後半や180センチと背の高い選手たちが多い。「160センチ台でレギュラーなんて周りで1人もいなかった」が坂本さんは二塁手のレギュラーを勝ち取り、中学球児の“甲子園”こと、硬式の全国大会「ジャイアンツカップ」に出場した。

 同じようなマインドで浦和学院でも東洋大でも主力選手として活躍した。小さい体をマイナスに受け取るのではなく、プラスに変えた。「逆に僕より小さい選手がいないでほしい!と行く先々で思っていました」と小さいからといって受け身にならず、できることを懸命に探した。

 坂本さんはプロ野球を引退後にサラリーマンを経て独立した。現在は東京・新木場の野球室内練習場「ベースランド」で野球教室『ノマドクラブ』を開講。子どもたちに野球の楽しさを伝えている。様々な経験は少年野球の悩み解決の糸口にもなっており、保護者からも厚い信頼を得ている。

 体が小さいことを心配する保護者から相談されたら、どのように答えるのか?そう聞くと、以下のように返ってきた。

「野球を続けていくことが大事です。上に行けば行くほど、『また目立てるよ』とは言ってあげられます。体が大きい選手の中に小さい選手がいたら、目立ちますよ。プロとかも見ていても同じです。そっちの方がいい。子どもには『いっぱい寝て、いっぱい食べろ』とは言いますけど、身長が伸びなかったとしても、別に気にするほどものことじゃないよと伝えたいですね」

 小さい体だって、考え方1つで大きな武器になる。

(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

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