「日本にはいなかったタイプ」 4打数連発のブライアント氏が村上宗隆に感じた“縁”
33年の時を超え、2人のスラッガーを結びつける人物とは…
レギュラー1年目の2019年、村上は36本塁打を量産する一方で、セ・リーグ新記録のシーズン184三振を喫した。184三振はパ・リーグを含めると歴代4位にあたり、プロ野球記録は1993年のブライアント氏の204三振。歴代2位も90年のブライアント氏の198、3位も89年のブライアント氏の187、5位も92年のブライアント氏の176で、2人で“ワースト5”を独占している。
「村上選手は今まで日本にいなかったタイプの打者ではないか?」とブライアント氏。「われわれ外国人選手のほとんどは、シングルヒットを打つために日本に呼ばれたわけではないので、私も心の中では常に本塁打を狙ってバットを振り、結果的に三振が増えた。対照的に日本人選手は、ボールに当てるのがうまく、なかなか三振をしない印象だから」と話す。
そして「村上選手が184三振しても、出場させ続けたチームが素晴らしい。彼はその中で自信をつけていったのだと思う」と指摘。2019年、当時の小川淳司監督(現GM)は、打率が既定打席以上でリーグ最下位(30位)の.231、守っては15失策の村上を辛抱強く起用し続けた。その1年がなければ、今季の快挙達成もなかったかもしれない。
ブライアント氏は「私が日本で長年活躍できたのは、近鉄に入団した当時、仰木彬監督と中西太コーチがいたから。2人は『大丈夫。いくら三振しても、ホームランさえ打ってくれればいい』と言い続けてくれた。自分のことを理解し、味方になってくれる人がいなかったら、ここまで長い間プレーできたとは思えない」と振り返る。
実は、村上を指導しているヤクルトの杉村繁打撃コーチも現役時代、中西氏に師事していた。いわば、村上は中西氏の“孫弟子”にあたるわけだ。ブライアント氏は「私がプレーしていた時代と、村上選手がプレーしている現在との間には、だいぶ時間がたっているが、村上選手が中西さんにつながっていると聞くと、縁を感じます」とうなずいた。33年の時を超え、果敢にバットを振り続け、アーチを固め打ちする2人の左の大砲。共通する打撃理論が流れているのかもしれない。