ビエイラら育成、ブラジル野球を変えた日本人 2度の夜逃げも…異国での壮絶人生
帰化し国際大会にも出場、アカデミー校長になり、日本にも選手を送り出す
やがて帰化し、ブラジル代表としてパンアメリカン競技大会など国際大会にも出場。1983年からはナショナルチームの監督、2013年のWBCではコーチを務めた。ブラジルで野球留学生を探していたヤクルトには次男の佐藤二朗(登録名・ツギオ)と、佐藤さんの家に下宿して野球を教わっていた松元ユウイチを送り込んだ。
そして、2001年にヤクルトが連盟と協力してサンパウロに球場を建設。アカデミーが設立されると校長として指導、運営にあたった。76歳となった今も、子どもたちと汗を流す。「子どもと一緒に付き合っているとなかなか年を取らない。体の中は大変だけどね」と笑う。自身の経験をもとに「逆境にいてもプラス思考でやっていると道は開ける」と説く。OBは300人以上おり、ビエイラ以外にも20人以上が日本の高校や大学に進学している。
今回のU-18でも、11人の教え子が世界を相手に戦った。また、新型コロナウイルスに感染し出場は叶わなかったが、サンパウロ出身で日本に渡った興梠フェリペケンゾウ(島根・立正大淞南高)がブラジル代表のユニホームを着た。今でも、ヤマハの打撃コーチを務める二朗さん、三男でBC栃木の広報を務める佐藤レナン勇さんは日本で野球に携わる。「まあ当然うれしいし、もっと頑張ってほしい」と願う。佐藤さんが培ってきた経験は、ブラジルと日本をつなぐ架け橋になっていた。
著者プロフィール
〇川村虎大(かわむら・こだい)1998年2月、茨城・土浦市出身。土浦一高から早大に進学。早大では軟式庭球部に所属するかたわら、ソフトテニス専門誌に寄稿。2021年からFull-Count所属。
(川村虎大 / Kodai Kawamura)