監督命令の打者転向は「嫌々だった」 指導者は不在…絶望から2000安打放った奇跡
川上哲治監督「柴田、外野を守ったことはあるか」柴田氏「ないです」
翌春の2軍キャンプ。ダブルヘッダーの視察に足を運んだ川上監督の前で、柴田氏は6安打に盗塁も決めた。ここで名将がまたまた指令を下す。「柴田、外野をやったことがあるか」。柴田氏は高校では中軸も任され、登板しない時はチームの攻撃力が下がらぬよう右翼手に就くことが多かった。ただし守備練習はただの一度もしなかったので、「ないです」と返答しても「外野を守りなさい」。
柴田氏はバッター転向と同時にショートを命じられていた。当時は名手の広岡達朗がレギュラーで、川上監督は柴田氏を将来的な後継者と青写真を描いた。ところが想定を超える成長ぶりに待ちきれなくなった。即戦力で起用するべく層の薄い外野を勧めたのだ。
その年の5月25日。柴田氏は広島のエース長谷川良平から左打席でプロ初本塁打を放った。この試合では左腕の大羽進から右打席でタイムリ―も。翌日も前年まで3年連続20勝以上の大石清から左で2試合連続ホームランをかっ飛ばした。柴田氏は「自分でもびっくりしました」と述懐する。以降レギュラー獲得へまっしぐら。
7月の球宴では全3試合に1番センターでフル出場し、3戦連続安打を記録するなど15打数6安打。第1戦は1回に左打席から左翼線へ流し打つツーベースで始まり、9回には“神様、仏様、稲尾様”の稲尾和久(西鉄)からの右前ヒットで締め、優秀選手に輝いた。球界全体にスイッチヒッター柴田を強烈に印象付けた。
柴田氏は開拓者にも関わらず、「皆さんによく『スイッチは大変だったでしょう』と仰って頂くのですが、自分は努力したという記憶なんて1回もないんです。どういうのが努力なのか、よくわからないし。普通にやっていました」と笑い飛ばす。
しかし、こうも付け加えた。「誰もやらないことをやるんだから。練習するのは当たり前ですよ」。
(Full-Count編集部)