許せなかった原辰徳のプロ1号「裸踊りと一緒だ」 肩慣らし登板がもたらした“ブチ切れ”

1981年4月5日、巨人・原辰徳が中日・小松辰雄(手前)からプロ初本塁打を放った【写真:共同通信社】
1981年4月5日、巨人・原辰徳が中日・小松辰雄(手前)からプロ初本塁打を放った【写真:共同通信社】

元中日・小松辰雄氏、大物ルーキー原辰徳に許したプロ初HR

 中日での現役時代に先発も抑えも経験した野球評論家の小松辰雄氏は、どちらが良かったか、と聞かれれば「そりゃあ先発」と即答する。「あの頃はその方が断然、楽だもん」。抑え投手が規定投球回に到達するなんてこともあった時代。肘、肩を考えれば抑えは3年も続けられるポジションではなかったからだ。それだけにプロ4年目の1981年、途中から先発に回った時は「うれしかった」という。その年もいろんなことがあった。まずは開幕カードで……。

 近藤貞雄監督の就任1年目は敵地・後楽園球場での巨人戦で幕を開けた。当時巨人の一番の話題は東海大からドラフト1位で入団した原辰徳内野手だ。そのデビューが注目を集めた中、開幕戦は2番手で登板した牛島和彦投手が原にプロ初安打を許し、試合も1-3で敗れた。2戦目は星野仙一投手が先発したが、巨人打線につかまり、中日が追う展開。3-5で迎えた8回裏に、小松氏の出番がやってきた。

「近藤さんに肩慣らしで行ってこいって言われた。負けていたし、1回投げてこいって感じだった」。6番・二塁でスタメン出場していた原氏と対決した。「初球、カーブを投げてストライク、次もカーブを投げてストライク。キャッチャーは中尾(孝義)さんで、次は高めの真っ直ぐ。今まで、そのパターンで1回も打たれたことがなかった。三振かポップフライ。あの時もそういうイメージだったんだけど、ライトスタンドにホームランを打たれてしまった」。

 原氏のプロ初本塁打だ。「悪いボールじゃなかったし、ちょっと振り遅れていたと思う。後で原さんに聞いたら、ミーティングでは2球カーブは続かないと言われていたらしい。それが2球続いたから、3球目は真っ直ぐ1本しかないと思ったんじゃないかな」と小松氏は言う。だが、大変だったのはその後だった。原氏の一発による1失点で、その回を終え、ベンチに戻った時だ。

監督ブチ切れ「お前はこの満員の後楽園球場で裸踊りしているのと一緒だ!」

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