言葉で選手に恥をかかせない“操縦術” 人柄で侍J束ねた栗山英樹監督の「凄み」

準決勝前日の練習で大谷翔平(右)と言葉を交わす栗山監督【写真:Getty Images】
準決勝前日の練習で大谷翔平(右)と言葉を交わす栗山監督【写真:Getty Images】

準決勝で村上のサヨナラ打引き出した言葉の“絶妙なタイミング”

 練習中に選手1人1人と目線を合わせ、頻繁に会話を交わしていた姿が印象的で、故障で出場を辞退した鈴木誠也外野手(カブス)、途中離脱を余儀なくされた栗林良吏投手(広島)に対するケアにも怠りはなかった。

 準決勝のメキシコ戦では、1点ビハインドの9回無死一、二塁で、それまで不振だった村上宗隆内野手(ヤクルト)に、城石憲之内野守備・走塁兼作戦コーチ(ヤクルト2軍チーフ兼守備コーチ)を通じて「思い切っていってこい」との言葉を伝え、逆転サヨナラ二塁打を引き出した。城石コーチは「監督の言葉を伝えた瞬間の、ムネ(村上)のスイッチが入った表情を、僕は一生忘れない」と述懐したが、選手にかける言葉の選択、タイミングが絶妙だった。

 選手の技術面について論評を求めると、「僕ごときが語れるレベルではない」と苦笑しながら首を横に振るのが常。日本ハム監督時代にルーキーイヤーから5年間指導した大谷に対しても、“恩師面”はしなかった。選手にも、侍ジャパンのスタッフにも、報道陣に対しても、物腰が柔らかだった。

 かつて怒声や体罰が野球の現場の日常だった頃とは、時代が違い、選手の気質も違う。マネジメント能力に長けた栗山監督は、時代に即した指導者であり、特に選りすぐりの選手たちの集団である侍ジャパンにおいては、最適の指揮官だったと言えるのではないだろうか。

○著者プロフィール
宮脇広久(みやわき・ひろひさ)1967年、東京・豊島区要町生まれ。埼玉・川越市育ち。埼玉県立川越高、立教大(文学部日本文学科、劇団シドロ所属)を経て、1991年産経新聞社に入社。産経新聞、サンケイスポーツ、夕刊フジで主に日本のプロ野球、メジャーリーグを取材。2020年よりフリーとなり、Full-Countに寄稿。

(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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