試合では使えぬ「グチャグチャ」の帽子 「これを被れ」背筋凍った“鉄人”の驚愕努力

広島・大野寮の寮長を務める道原裕幸氏【写真:山口真司】
広島・大野寮の寮長を務める道原裕幸氏【写真:山口真司】

広島・新井新監督は入団時、「パワーはすごかった」

 その金本氏の“弟子”であり、現広島監督の新井貴浩氏も同じタイプ。1998年ドラフト6位で駒大から入団してきたが「あの時、僕は2軍の(バッテリー)コーチをしていたんですが、彼は打つことのパワーはすごかったですね。でも、それ以外は守備も駄目、スローイングもよくなかった。それを一生懸命、練習して変えましたね」と語る。

 他にも1988年のドラフト5位で関東高校(現聖徳学園高)から入団し、1993年と1995年には本塁打王に輝いた江藤智氏については「最初はキャッチャーだったけど、肩が弱くてセカンドにボールが届かなかった。でも、バッティングは良かった。飛ばす力は持っていました」。1989年ドラフト4位の熊本工出身の天才打者・前田智徳氏に関しては「格好よく打つという感じはあったけど、練習とかで派手さはなかった。陰でやっていたんじゃないでしょうかねぇ」と振り返った。

 三村敏之監督が率いた1994年から1998年のカープ打線は「ビッグレッドマシン」と呼ばれた。金本氏、江藤氏、前田氏に、野村謙二郎氏、緒方孝市氏ら、すごい面々がしのぎを削ったが、彼らの共通項はやはり努力と練習ということになる。「(1988年ドラフト1位の)野村は入ってきた時、キャンプは休みなしで練習していましたよ」と道原氏は思い出す。やったことは無駄にならない、それが必ず生きる時がくる。彼らの活躍がそれを証明している。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY