東海大相模時代と激変…門馬敬治監督の新たな挑戦 自ら食器洗い、連日90分のトラック運転
2021年夏を最後に東海大相模監督を退き、昨年8月から創志学園で指揮を執る
母校でもある東海大相模(神奈川)の指揮官として、春夏合わせて4度の全国制覇を成し遂げた門馬敬治監督。2021年夏の神奈川大会を最後に現場から退くと、およそ1年の充電期間を経て、2022年8月からは創志学園(岡山)の監督に就いた。春夏6度の甲子園出場を誇る私学である。
就任1年目の秋は、中国大会準々決勝で敗退。新たな地でどのようなチーム作りを進めているのか。岡山で変えたこと、変わらないことは何か。指導者として、第2の人生を歩み始めた門馬監督を訪ねた。
東海大相模から、創志学園へ。神奈川から、岡山へ。「生まれてからずっと神奈川で育ってきた人間で、県外で生活するのは初めて。親交の深い指導者は誰もいない。まったく知らない場所なんです」。
なぜ、創志学園だったのか。いくつかの学校から誘いがあったのは事実である。
「もう一度、甲子園で日本一を獲りたい。さまざまな方とお話をさせてもらう中で、大橋博理事長(学校法人創志学園/現・総長)から『門馬監督を守りますから』と言葉をいただきました。その一言がものすごく大きかった。人間って弱いものなんです。ぼくも、『この先どうなっていくんだろう』という不安は持っています。だからこそ、寄りかかっても倒れない“支え”や“後ろ盾”があるのは、とても大きい。『守りますから』という言葉をいただいたことで、ぼく自身は選手を守らないといけない、何があっても逃げてはいけないと強く思いました」
たしかな後ろ盾があることで、目標に向かって全力で挑める。それは、大人も高校生も変わらないことだ。