思い出すのは「強かった中日」 落合博満氏の許可得て大刷新…実現した“大学ドラゴンズ”
投手起用にこだわり「先発のイニング数が断トツ」
振り返れば、感謝する人が何人もいる。星野氏や落合氏はもちろん、大先輩の小松辰雄氏、プロへの道を切り開いてくれた担当スカウトの水谷啓昭氏、コーチ時代にお世話になった森繁和氏、自身のスカウト時代の誇りであり、尊敬すべき選手でもあり、2人にしかわからない絆もある岩瀬仁紀氏……。名前を挙げればきりがない。日本プロ野球史上初の記録でデビューしながら、その後は怪我で苦しんだ現役時代からスカウト時代、コーチ時代を通して、いろんな人に支えられてここまで来たとの思いでいっぱいだ。
そんな、これまでに得たことすべてを今、岐阜聖徳学園大学の選手たちに注いでいる。「人としての人間形成みたいなことをしっかりやってほしいと言われて、ここに来ました。やっぱり同じ方向を向けない子もいるけど、僕だって2軍でくすぶって、もういいやって思った時もあったので、そういう子の気持ちってよくわかる。そんな僕の昔の話もしています」。当然、技術指導も信念を持って取り組んでいる。例えば投手育成についてはこう話した。
「ウチの先発投手陣のイニング数って昨年秋、断トツに多かったんです。そりゃあ勝ちも必要ですけど、経験させるなら、長いイニングを投げさせないといけない。僕は点を取られる前に代えようとはしないんです。なんで点を取られたかをわかってくれれば、おのずと生きてくるので。それを代えちゃうと次に投げた時に生きない。だから負ける時は一気に3点、4点、ボコッと取られたりするんです。でも、それも次に生かしてくれればいいと思っているんです」。
1987年8月9日、満月の夜にナゴヤ球場の巨人戦で大偉業を成し遂げてから36年近くになる。大学野球という新天地で、近藤氏は選手たちを光輝かせるために動いている。「もちろん目指すのは優勝ですけど、そればかりが目的ではない。この岐阜聖徳学園大学で野球をやって良かったなと思って、人として成長し、卒業してほしいのと、ここで野球をやりたいという子がもっともっと増えてくれたらいいなと思っています」。その目もまた輝いていた。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)