胸ボタン外して腕まくり…打席で投手を“威嚇” 「びびらせろ」指揮官から異例の指令
最初はイヤだったポーズも「気づいたらルーティンに」
「僕はどっちかというと、消極的で自分を表に出せないタイプだったんです。野球も初球から打てないとかね。ミムさんはそんなところを変えてやろうって思ってくれたんじゃないですかね」。最初はポーズをとるのが嫌だったという。「まだ若いからそういうのが恥ずかしいとか、照れとかもあるじゃないですか」。そんな気持ちでやり始めた。「面倒くさいなって思いながらやっていたら、気がついたら自分の中でルーティンになっていたんですよ」。
1994年シーズンから三村監督は1軍指揮官になった。浅井氏が1軍選手として本格的に活躍しはじめたのは1995年からだが、その時はもう当たり前のように無意識に、打席に入ると、腕をまくっていた。「胸のボタンを外すのは1軍ではやってません。カープではユニホームもちゃんと着なさいと言われていましたから。あれはミムさんが2軍監督の時だけ、特別に許されていたんだと思います」と話したが、腕まくりだけでも十二分に目立っていたし、あっという間に知られることになった。
打撃スタイルも2軍初期時代とは全然違っていた。2軍で練習を重ねて変わった。超積極的で、初球からブンブン振り回す、カープのごっつい若手。そんなイメージの選手になって1軍に上がった。あのビッグレッドマシンに入っても、強烈な存在感を見せていた。
それがすべてではないが、2軍時代の三村監督からの威嚇指令が、浅井氏の野球人生にいい流れをもたらしたのは間違いない。「1軍に上がってからミムさんに2軍の時のことを話したら『ワシ、そんなこと言うたかのぉ』って言ってましたけどね」。今は亡き恩師を思い浮かべながら、感謝しながら笑みをこぼした。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)