堅実就職のはずが「手取り3万もなかった」 おにぎり代もツケ…元中日右腕の“金欠”時代

ロッテ&オリで監督を務めた西村徳文氏と同部屋だった

 しかし、そこでの生活も楽ではなかった。「仕事は各駅の駅長らが住む社宅の管理。誰がどこに入っていて、家賃がいくらとか駅ごとに書き込んだり、駅長から電話で問い合わせを受けて調べたり……。最初は電話もまともに出られなかったけど、やっているうちに人との会話もできるようになった。午後3時まで仕事して、そこからグラウンドに移動して日が暮れるまで練習。そんな毎日だった」。朝、昼の食事は会社の売店でおにぎりとかを買って済ませ、夕食だけは寮で食べたそうだ。

「基本給が7万5000円だったかな。そこから税金、組合費、寮費とかを引かれると、手取り3万もなかったと思う。お金がなかったから売店のおにぎり代とかもツケ。給料が出たらまとめて払わなければならないから、給料はそれでほぼなくなる。財布なんて持っていったことがなかったね」。苦しい時代だった。寮は2人部屋。後にロッテに入団した内野手で、ロッテ、オリックスの監督も務めた西村徳文氏が部屋長だった。

「厳しい上下関係とかはなかった。西村さんは優しかったし、あの人がプロに入ったのは刺激になった」。西村氏は1981年ドラフト会議でロッテに5位指名されてプロ入り。鹿島氏はその1年後に中日入りを果たす。投手と野手。ポジションは違っても、高いレベルの人との生活はためになったという。

 振り返れば確かにそれまでは世間知らずの面があったという。だから社会人を経てのプロ入りは鹿島氏の場合、プラスに働いた。高校から直接のプロ入りにストップをかけた恩師の鹿児島実・久保監督はもとより、それを見抜いていたのかもしれない。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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