北別府学さんは「気付いたら追い込まれている」 元燕の1番打者が脱帽した投球術
「配球が命」…北別府さんは打者の気配を察知して投げていた
北別府さんは、高低より横の幅を広く使ってきたという。外へ流れるスライダー、逆に内を突くシュートを巧みに組み立てる。「アウトコース一辺倒なら、まだ何とか対応できるのですが……。インコースのシュートで踏み込ませてくれなかったり。配球が命のピッチャーでした」。狙い球を易々とは絞らせてもらえなかった。
飯田氏は打席の中で、北別府さんの“極意”を感じ取っていた。「バッターをよく見ていたのでしょうね。こいつは、外のボールを待っているな、とか。気配を察知していたように思います」。知将・野村克也監督の対策は「内か外か、どちらかを狙っていけ」だった。それでも「北別府さんは、うまいんですよ。打ち気をそらしたり、狙ったボールの逆が来るのです」。
1992年にヤクルトは優勝したが、8月23日の広島戦(広島市民)は興味深い。ヤクルトが4-1で勝ったのだが、北別府さんは8回を投げ自責点2、四球はゼロ。1番センターで出場した飯田氏はノーヒットに抑え込まれた。ヤクルトは、かつて快速球で鳴らした高野光投手が右肘の手術を乗り越え、3年ぶり完投勝利を飾った。
当時の報道によると、高野さんはスライダーとシュートで揺さぶり、4併殺につなげた。「相手の北別府さんの制球力を手本にした」とのコメントを残している。引退の2年前でも北別府さんは、このシーズン14勝を挙げた。
「ずーっと速い球を投げられる投手なんていません。なかなか長持ちしないです。ピッチャーはコントロール。北別府さんは素晴らしかったです」。正確無比な制球のスタイルで白星を着実に積み重ねた名投手を、飯田氏は悼んだ。
(西村大輔 / Taisuke Nishimura)