ワンマン監督では勝てない 高校野球で異例のスタッフ12人…健大高崎、強さの“源泉”

健大高崎・青柳博文監督【写真:片倉尚文】
健大高崎・青柳博文監督【写真:片倉尚文】

健大高崎・青柳監督は野球部が創設された2002年に就任

 第105回全国高校野球選手権の地方大会が繰り広げられている。群馬大会で優勝候補にあがるのが健大高崎だ。昨秋の関東大会で4強入りし、今年の第95回選抜大会に出場。この春は群馬大会、関東大会をいずれも制した。近年安定した成績を残している背景には青柳博文監督を中心にした指導者の分業制、素質ある中学生が多数入学していることなどが挙げられる。創部した2002年から指揮を執る指揮官は、チーム運営において7年間のサラリーマン生活が役立っていると明かす。

 JR高崎駅から車で20分ほど。健大高崎の敷地内にある野球部には充実した施設が揃う。専用グラウンドにサブグラウンド、室内練習場、専用ブルペン、トレーニングルーム、初動負荷トレーニングセンター、野球部専用の寮が2つ……。チームを指揮して22年目の青柳監督は「野球に集中しやすい環境が揃いました。要望を聞いてくれた学校の理解が大きいと思います」と感慨深げに語る。

 2001年に男女共学となり、硬式野球部同好会としてスタート。翌2002年に4月に硬式野球部となり、監督に就いた。当時はグラウンドもなく、テニスコートで活動。バッティングができるようにと、コート内に“トリカゴ”を作って練習した。

「部員は15人くらいいましたが、ミーティングをしたら3人くらいやめました。野球経験者は5人くらいでしたね」。初代主将は“不祥事”による謹慎で大会に出場できず。「本当に苦しかった。勝つ見込みはなかった」。現在では全国屈指の強豪も、船出の21年前はそんな有様だった。

 それでも徐々にチームは力をつけていく。2006年群馬秋季大会で準優勝し、関東大会へ。翌2007年に専用グラウンドや室内練習場が完成し、その後に男子にもアスリートコースが採用される。有力選手が入部するようになり、2011年夏に甲子園初出場。翌2012年選抜でベスト4に進出し、走塁で相手にプレッシャーをかける“機動破壊”が全国に知れ渡った。

現スタッフは12人の大所帯…コーチに権限持たせて運営する

 これまで春に6度(中止になった2020年を含む)、夏に3度甲子園出場を果たしている健大高崎。青柳監督の指導の根本は東北福祉大卒業後に経験した7年間の会社員生活だ。就任当初から監督の“ワンマン指導”では立ち行かなくなると確信していたという。「いい会社の社長は部下に任せますよね。部下が責任を持って業務を遂行する。責任を持たせる。組織はそれが全てだと思います」。

 現在、健大高崎野球部には12人のスタッフがいる。そのうち6人が教員を含む学校職員。高校球界では異例の体制を作り上げ、青柳監督はそれぞれに権限を持たせている。練習試合などの選手起用は基本的に一任。「自分の力だけでは無理。部員は100人以上もいて、1人でやってもいい仕事はできないと思います。コーチには、監督のカバン持ちではなく、自分が監督のつもりでやってもらっています」と力を込める。

 バッティングと中学生のスカウティングを担当する赤堀佳敬コーチは青柳監督を「スーパー経営者」と表現する。「周りをよく見ています。こういう方が社長や経営者になるんだなと思います」。責任を持たされているからこそ、コーチにも緊張感が生まれる。「自分がやらなかったらチームは回らないという責任を持って指導しますし、僕らも勉強しないといけない。選手に中途半端なことは教えられないので、(選手に)一つ指導するにしても何時間も勉強します」と語る。

 狙いが指導陣に浸透していることに、指揮官も手応えを口にする。「1人の限界を感じながらやってきて、今はほぼ自分の理想に近くなってきました。コーチ同士の競争もあると思います。勉強していると感じますね」。夏の甲子園出場は2015年が最後。独自大会だった2020年から昨年まで、3年連続で決勝で涙を飲んでいる。8年ぶりの夏聖地へ、戦う集団は15日に初戦を迎える。

(片倉尚文 / Naofumi Katakura)

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