“ごく普通”の県立高校生がプロになれた理由 剛腕サイドが伝える「武器」の作り方

日本ハム・松岡洸希【写真:羽鳥慶太】
日本ハム・松岡洸希【写真:羽鳥慶太】

現役ドラフトで日本ハム入り、松岡洸希はごく普通の中学生だった

 日本ハムの松岡洸希投手は、ごく“普通”の県立高校から独立リーグを経て西武入り。さらに初の現役ドラフトで指名され移籍と、22歳にしてすでに波乱万丈の野球人生を送っている。小柄で、打撃が嫌いだったという少年は、どのようにしてプロまでたどり着いたのだろうか。

 小学校1年生で野球を始めた松岡は、中学時代は地元・埼玉県の桶川中学野球部でプレーした。硬式野球との選択は頭になかった。「一切、迷いはなかったですね」とまでいう理由の1つは体格だ。当時は身長が140センチほど。守備位置も遊撃や三塁が主だった。

 ただ、桶川中は県大会に進出するような強豪で「スタメン9人中の9番目みたいな存在でした」と笑う。チームメートには、後に強豪の春日部共栄高に進んだ選手もいた。その中で松岡は守備が好きで、打撃は「前に飛ばないので嫌い」という目立たない選手だった。

 高校の選択も、野球の強い学校へとは全く考えなかった。「家からチャリで10分なので」という理由で、桶川西高に進学。ただ体はどんどん大きくなった。3年生になったころには投手を兼ねるようになり、身長も最後は179センチ、最速143キロを投げられるようになった。

はじめは怖かった硬式球も「飛ぶとわかって楽しくなった」

「野球で食べて行こうと思ったのは、高3になってからですね。デカくなって、投手もやってスピードも出るようになった。あれほど嫌いだった打撃も、高校に入ってからは好きでしたね」

 硬式の楽しさに気付いたことも大きかった。「ボールが変わって、楽しかったですよ。最初はもちろん怖かった。でも慣れ始めると、軟式よりもボールが飛ぶのがわかったんです」。野球を始めた時から、いつも楽しくプレーしていた。体の成長がついてくると、どんどんのめり込んでいった。

 その後も紆余曲折を経て、今は球速150キロに迫る剛腕サイドスローとして1軍入りを目指す。自身の少年時代を振り返って、子どもたちに送るアドバイスを聞くと「何かが不得意なら、何かで自分を出せるものを磨けばいいと思います」。それが少年時代の松岡にとっては守備だった。

(羽鳥慶太 / Keita Hatori)

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