中学時は「ひょろひょろ」だった宇和島の剛腕 1年で激変させた名将・上甲正典の“先見の明”
オリックスの平井正史投手コーチは宇和島東で春夏連続甲子園に出場
時代を先取りしたトレーニングで“宇和島の剛腕”は生まれた。オリックスの平井正史投手コーチは現役時代に通算569試合に登板。入団2年目の1995年には15勝27セーブと、現代野球では考えられない成績を残した。宇和島東、済美(ともに愛媛)で、計2度の全国制覇を達成した上甲正典監督(2014年死去)に鍛えられた高校時代が「後の野球人生を変えてくれた」と振り返る。
平井コーチは、宇和島東のエースとして1993年に春夏連続で甲子園に出場。最速147キロの直球と、無類のスタミナを武器に全国の舞台で躍動した。中学時代は軟式野球部に所属。「愛媛ではそれなりの投手でしたが、体はひょろひょろ。高校に入ってからトレーニングの大切さを学びました」と、高校時代の練習環境への感謝を口にする。
高校には野球部専用のウエート場があり、当時では珍しい最先端のトレーニング器具が揃っていた。上甲監督は技術と同様にフィジカル強化を大切にしていたという。元ボディビルダーの先生を招き、バーベル、スクワット、ダンベル、ロープなど筋力トレーニングにも時間を割いた。
「監督は(ライバルだった)松山商の緻密な野球に勝つには同じ事をしてもダメと考えていたそうで。打ち勝つ野球も必要だと。トレーニングもただやるだけではなく、野球に必要な筋肉をつける。僕は投手だったので下半身を中心に土台を作っていました」
トレーニングが終われば監督が用意したプロテインを飲み、時には自身が経営する薬局から、滋養強壮剤も選手に配布した。平井コーチは、高校入学から1年間で体重が10キロ増加。体ができあがるにつれ球速も上がり、プロ注目の投手に成長した。
厳しさもあり、優しさもあった恩師の存在。「フィジカルが整っていないと練習もできない。今は筋力トレーニングは当たり前の時代。上甲監督は30年前からその重要性を口にしていた。すごい監督です」。感謝の思いを胸にこれからも後進の育成に努める。
(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)
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