中日投手陣への“同情論”に苦言 自ら招いた無援護…元エースが喝「真に受けたら駄目」

中日・柳裕也、高橋宏斗、小笠原慎之介(左から)【写真:荒川祐史、矢口亨、中戸川知世】
中日・柳裕也、高橋宏斗、小笠原慎之介(左から)【写真:荒川祐史、矢口亨、中戸川知世】

今中慎二氏は2012、2013年に中日投手コーチ…若手を鍛え上げた

 元中日左腕の今中慎二氏は2012年から2シーズン、古巣ドラゴンズの投手コーチを務めた。高木守道監督の下で、1年目は2軍、2年目は1軍で後輩たちを指導。その間に左腕・大野雄大投手らが1軍戦力に成長した。現在は野球評論家でもあり、株式会社エスプロジェクト(名古屋市)の社長でもある今中氏が、コーチ時代を振り返るとともに、2年連続最下位からの巻き返しを目指す立浪和義監督率いる中日へ熱いエールを送った。 

 今中氏は1988年ドラフト1位で大阪桐蔭から中日に入団。プロ8年目(1996年)の25歳までに通算87勝をマークするなど、左腕エースとして大活躍したが、その後、左肩痛に苦しみ、30歳だった2001年シーズン限りで現役を引退した。通算91勝で74完投を記録した伝説の左腕の引退セレモニーは2002年3月23日にナゴヤドームで行われたオリックスとのオープン戦。プレーボール前に相手トップバッターの谷佳知外野手との“対戦”という形だった。

 全球ストレートを投げた。1球目はボール、2球目からは谷が3球続けて空振りした。「ストレートといっても、110キロくらいですよ。練習していなかったですからね」。投げ終えるとマウンドをならし、立浪和義ら内野陣と握手、最後にその試合の先発投手・山本昌と握手して、大歓声のスタンドに手を振りながらマウンドを降りた。

 そんな今中氏が再び、ドラゴンズのユニホームを着たのは2012年シーズンだった。1軍が高木監督で2軍は鈴木孝政監督。その体制下で2軍投手コーチに就任した。「2軍のコーチをやっている時は一切、勝敗にこだわっていなかった。とにかく投げさせて、鍛えなければいけない。試合のための練習では全然駄目だからシーズン中も走り込んだりね。へばっている時にどういうピッチングをするかというのもありましたから。梅雨前に強化月間で走り込もうってやったこともありましたね」。

 試合中の1回から3回まで、投手陣にポール間走を指示したこともあったという。「本数じゃないよ、3回までだよ。先発ピッチャーに言えよ、早く投げてくれないと本数増えちゃうからなって。ベンチ要員も走ってこい、そこから戻って準備してそれから(試合で)投げる。へばってどれだけ投げられるか。体で覚えようってね」。そのため走るスペースがある遠征先の場合は、連れて行く人数も増やしたそうだ。

中日で活躍した今中慎二氏【写真:山口真司】
中日で活躍した今中慎二氏【写真:山口真司】

中日の若手に注文「必死にやっていることをもっと前面に出してもいい」

 2013年に今中氏は1軍投手コーチになったが「若いピッチャーを何とかしなければいけないということで、彼らを競争させました」と明かす。「キャンプの練習もきつめにして、投げ込み週間とか走り込みとかもやってね、あの時、最終的に(先発ローテ投手として)残ったのが大野。彼はタフでしたね。他もタフな選手は多かったんですけどね」。

 大野は2013年シーズンに初めて2桁の10勝をマークした。その後もエース格として中日投手陣を支えている。2023年は左肘手術で1試合の登板に終わったものの、復活が待たれるところだ。そんな大野に今中氏はかつてこう話したという。「『打たれて苦笑いするな』って言ったんですよ。エースと言われているのに、失投かなんか知らないけど『お前がそんなふうだったら、みんなするじゃないか』ってね」。もちろん、これも期待しているからこそのゲキだったのは言うまでもない。

 中日OBとして今中氏は立浪ドラゴンズの巻き返しも楽しみにしている。「我慢、我慢できた2年なんで、そろそろ我慢も解放して、ちょっとやればいけると思いますけどね」。その上で「選手ももうちょっと意気に感じないといけないと思う。使ってもらっている若手から、それが伝わってこない。結果が出る、出ないじゃなくて必死にやっていることをもっと前面に出してもいい。見ている人は見ていますから。今はね、余裕を持ってミスしているように見えるんですよ」と指摘した。

 中日投手陣については「四球が多い(2023年はリーグワーストの445)ですよね」と渋い表情。「四球を出しても抑えればいいんだろってことなんだけど、出して抑えても、やっぱりリズムがあるんですよ。守っている野手のリズムを考えると出さないに越したことはない。リズムが悪いから点が入らないのもあるんじゃないかってことですよ」ときっぱりだ。

投手陣へ「自分が頑張ることが先。打者が打つ打たないは二の次」

 打線の沈黙が目立ち、投手陣への同情論も取り沙汰されるが、今中氏は「それを真に受けたら駄目でしょ。確かにノーヒットノーランで勝てないとか完全試合で勝てないとか、あり得ないんだけど、もう終わったことだから。それよりも自分がまず頑張ることが先。バッターが打つ打たないは二の次ですよ」と言う。「ツーストライクからフルカウントまで行って抑えるのと、ツーストライクからポンポンとアウト取るのでも違う。リズムが絶対大事なんです」と主張した。

 現在、今中氏は株式会社エスプロジェクトの社長も務めている。「ビルメンテナンスとか清掃とかもやっているし、会社と会社をマッチアップさせる仲介も。何かイベントをやってほしいとなれば人を探してくるし、自分が出ることもあります」。その業務と野球評論家業を両立させており、忙しい毎日だ。

 一方で2013年に中日投手コーチを退任して以降、ユニホームを着ていないが「こればかりはタイミングがありますからね」という。「ユニホームを着ろと言われれば着るかもしれないし、声がかからなければ別にそれはそれで、ってくらいですね」ともサラリと話した。しかし、まだ52歳の今中氏には魅力がいっぱい。その野球人生にはまだまだ未来もある。野球界もこの理論派でもある稀代のサウスポーを指導者として、このままほっとかないのではないだろうか。

 表情ひとつ変えずにズバッとストレートを投げ込んだかと思えば、さらに同じ顔つきで、同じか、むしろさらに強い腕の振りでスローカーブを繰り出す緩急自在の投球は芸術的でありながら、無敵の強さも感じさせた。闘将・星野仙一氏は、彼が2001年に引退した時「今後、こういうピッチャーは出てこないんじゃないか」と話した。それはあれから20年以上経った今も……。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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