「Netflix」が心血を注ぐ“野球ドキュメンタリー” 2年連続最下位だからこそ…Rソックスの舞台裏【マイ・メジャー・ノート】

勝利を喜ぶレッドソックスナイン【写真:Getty Images】
勝利を喜ぶレッドソックスナイン【写真:Getty Images】

世界190か国以上、約1億6000万人のユーザー…スポーツは優良コンテンツ

 吉田正尚外野手が所属するレッドソックスの舞台裏が慌ただしい。

 クラブハウスの中で、撮影クルーのテレビカメラが容赦なく選手の後を追いまわしている。メディアの立ち入りが禁止されているトレーニングルームや食堂にまで入り込んでいく。更には、試合中のダグアウトの中にもカメラのレンズを向け撮り続けるカメラマンの姿がある。

 米動画配信の大手Netflix社が2024年のレッドソックスに密着取材したドキュメンタリーを制作すると発表したのは今年2月7日(日本時間8日)のこと。以降、選手もチーム関係者もこのことについては多くを語らない。これは「真に筋書きのないドラマ」を目指す制作側の意向と関係しているようだ。

 ボストンの地元記者たちに聞いた話を総合すると、ドキュメンタリー番組成立の背景が見えくる。まずは、Netflixのスポーツ実録ものの注目度が高くなっていることに触れておこう。

 Netflixは世界190か国以上、約1億6000万人のユーザーを有し、テレビ番組から映画、ドラマ、アニメなど新旧の話題作や秀作を豊富に取り揃える。また、オリジナルのコンテンツも充実させている。近年人気の実録番組「docuseries」にあってスポーツを題材にしたものが優良コンテンツになっている。F1人気に火をつけた『ドライブ・トゥ・サバイブ』が大ヒット。今年2月半ばから配信がスタートした、PGAツアーに参加する次世代プロゴルファーたちに密着した『フルスイング』が好調な滑り出しを見せている。

吉田正尚や開幕投手のピベッタが離脱も…皮肉ではあるが人間ドラマの妙味

 NFLやNBAを題材にしたシリーズやサッカーものが人気を博す一方で、野球はない。この状況をNetflix社とMLB機構が好機と捉えた。年間162試合もの公式戦を行う競技の選手、そして裏方に徹するスタッフや経営陣にも焦点を当て、それぞれの葛藤と喜びを活写することで既存ユーザーの興味喚起と野球市場の新規開拓を狙う。

 2021年にMLBコミッショナーのロブ・マンフレッド氏も加わった企画会議で、レッドソックスは候補には挙がらず、幾つかのチームを対象として目玉選手を据える形が提案されたという。しかし、テレビ界で多くの実績を積み上げているレッドソックスのトム・ワーナー会長の存在が引き金になった。

 また、2年連続地区最下位に甘んじたレッドソックスは今季も積極的な補強を行わず、大物スター選手もいない。奇しくもこの状況が、ありがちな「ストーリーありきの栄光」を遠ざけドキュメンタリーの真性を保つための一要因になっている。

 今季の開幕投手を務めたニック・ピベッタは右肘を痛め4月9日(同10日)に15日間の負傷者リスト(IL)入り。また、5月1日(同2日)には、吉田正尚が打撃の際に衝撃を受けた左手親指痛のため10日間のIL入りとなってしまった。他にも戦列離脱者が出ているが、長丁場には付きもののアクシデントは当人たちにとって皮肉ではあるが、人間ドラマの妙味となる。

 一昨年の9月には、アレックス・コーラ監督以下、チームの選手会代表を務めるピベッタ、トレバー・ストーリー、ロブ・レフスナイダーらが音頭を取り、制作側とズーム会議で意思疎通を図っている。プライバシーの問題もあり撮影には熱量が違う選手もいた中で、制作側の「ヒーローは作らず参加は選手個人の判断」の意が選手たちの気持ちに染みていった。

寒風下で上半身裸のストレッチをするレ軍のカサス【写真:木崎英夫】
寒風下で上半身裸のストレッチをするレ軍のカサス【写真:木崎英夫】

クルーの一人は「どんなストーリーになるかまったく分かりません」

 球団マーケティング部門の中枢、アダム・グロスマン氏は、「選手にも球団にもこのプロジェクトからは一切金銭は派生しない」とし、参加者が限りなく自然な姿でいられる地盤を固めた。

 今回の企画は、マーケティングで新たな生面を開こうとするMLBが世界に顧客網を張るNetflixの拡張策にあやかる格好で、伝統あるレッドソックスにとっては球団組織の理念をも曇りなく示す企業広告でもある。だが、作品に当てられる光の角度、明度、彩度が「世界一への期待薄チーム」「主人公は作らず」「金銭の派生なし」「任意参加」「前例なき領域に踏み込む」であれば、“似非ドキュメンタリー”に成り下がることはあるまい。

 3月終わりから4月1日(同2日)にかけてシアトルで行われた開幕シリーズで、記者は撮影クルーの観察眼が日ごとに明敏さを増していくのに気が付いた。クルーの一人が言った。

「どんなストーリーになるかまったく分かりません」

 選手のどの意識の瞬間を切り取って皿に盛るのか――。個人的な興味がある。来年の公開が待ち遠しい。

◯著者プロフィール
木崎英夫(きざき・ひでお)
1983年早稲田大学卒。1995年の野茂英雄の大リーグデビューから取材を続ける在米スポーツジャーナリスト。日刊スポーツや通信社の通信員を務め、2019年からFull-Countの現地記者として活動中。日本では電波媒体で11年間活動。その実績を生かし、2004年には年間最多安打記録を更新したイチローの偉業達成の瞬間を現地・シアトルからニッポン放送でライブ実況を果たす。元メジャーリーガーの大塚晶則氏の半生を描いた『約束のマウンド』(双葉社)では企画・構成を担当。シアトル在住。

(木崎英夫 / Hideo Kizaki)

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