ダルビッシュが「忘れないですよ」 200勝投手の原点…右腕の成長を支えた“相棒”【マイ・メジャー・ノート】

パドレス・ダルビッシュ有【写真:Getty Images】
パドレス・ダルビッシュ有【写真:Getty Images】

最も印象に残る捕手は「鶴岡さんですね。それはもう絶対」

 ダルビッシュに聞くことは決めていた。

 日米通算200勝の偉業を達成した19日(日本時間20日)の試合後、敵地アトランタのロッカー室内で行われた会見で、記者は聞いた――。プロになってから最も印象に残る捕手は誰か。即答だった。

「鶴岡さんですね。それはもう絶対」

 メジャー移籍前の日本ハム時代(05~11年)に果たした全登板の7割近くあたる115試合でバッテリーを組んだのが鶴岡慎也氏である。間を要した返答もあった中で、即座に返してきたのは、保存された記憶と検索の関係にはない、贖罪(しょくざい)であったからである。

 ダルビッシュは鶴岡氏を挙げた理由を淀みなく続けた。

「自分が結構フラフラしているというか、鶴岡さんにもなめた態度をとっている中で、それをこう全然(怒りを)見せなかったですし、いろいろ思うところはあったと思いますが、それをちゃんと我慢してくれて、自分を乗せるようにやってくれたというのが自分の成長できた理由だと思うので。やっぱり鶴岡さんだと思いますね。もうそこは忘れないですよ。僕のスタートなので。はい」

鶴岡氏は現役引退時にSNSにダルビッシュへの感謝を綴った

 宮城県の東北高校時代に甲子園を沸かせ、190センチを超える長身の右腕はプロの注目を一身に集めた。04年に日本ハムから単独1位指名され入団。05年6月15日のデビュー戦で勝利を挙げた18歳は当時から投球に一家言を持ち、鼻っ柱が強い青年だった。「なめた態度」には、独りよがりの配球もあったはず。

 日ハム時代の投手コーチでダルビッシュが敬愛する現ロッテ監督の吉井理人氏は「マウンドであからさまに調子の悪さを発信していた」と、若かりし頃のダルビッシュの感情のコントロールの未熟さに触れていた。

 天賦の才をもつダルビッシュのすべてを受け入れ、心の成長を信じてやまなかった鶴岡氏が、現役生活に終わりを告げた23年のオフに自身のインスタグラムで綴った言葉は沁みる。

「引退した今年の内に、どうしても感謝の気持ちを伝えたい相手がいます。サンディエゴ・パドレスで活躍中のダルビッシュ有投手です。彼は歳こそ5つ下ですが、心技体全てにおいて僕を成長させてくれました!」

 マスクを被った鶴岡捕手の心中を余人が知り得るはずもない。しかし、ダルビッシュのどんな態度にも感情の起伏を現さなかったのは、それが大人への階段へと誘う決定打と心得ていたからであろう。

24日(日本時間25日)のヤンキース戦で野茂英雄氏に並ぶ201勝目を目指す

 4年前の春に他界した野村克也氏は、自らの実績だけではなく、多くの教え子たちと野球哲学を響かせるいくつもの名言を遺したが、筆を進めるうちに、この言葉が浮かんできた。

「選手を育てる上で一番大切なのは愛だ。愛なくして人は育たない」

 ダルビッシュに対する鶴岡氏の姿勢は、この至言と重なる。

 メジャー13年目のシーズンに挑んでいるダルビッシュは、カブス時代に専属捕手を務めたビクター・カラティニとともに21年にパドレスに移籍。だが、不運にも「兄弟のよう」と称していた相棒は、翌年のシーズン開幕後間もなくしてトレードでチームを去った。その後は、オースティン・ノラと組み、試合中のダグアウトでもしばしば意思疎通を図るなど関係構築に労を惜しまなかった。10年ぶりに自己最多の16勝を挙げた22年は、その関係性が色濃く映っている。

 首痛が癒え4月終わりに復帰登板を果たしてから4連勝で200勝の大台に到達したダルビッシュは、開幕からの9登板をすべて今季正捕手の座に就いた25歳のルイス・カンプサーノ捕手と組んでいる。現在、25イニング連続無失点中。不安はまったくない。

 24日(同25日)、ダルビッシュは、15本塁打の主砲ジャッジ、13本塁打のソトらヤンキースの強打者を相手に、今季5勝目とともに尊敬する野茂英雄氏に並ぶ201勝目を目指す。

(木崎英夫 / Hideo Kizaki)

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