復刻ユニを着用…114年前に開場した“最古の球場”でメジャー公式戦が初開催される意義【マイ・メジャー・ノート】

ニグロリーグ、ドジャースで活躍したジャッキー・ロビンソン【写真:Getty Images】
ニグロリーグ、ドジャースで活躍したジャッキー・ロビンソン【写真:Getty Images】

21日に米アラバマ州バーミンガム「リックウッド・フィールド」で初の公式戦

 6月20日(日本時間21日)に、米アラバマ州バーミンガムの「リックウッド・フィールド」で初めてメジャーの公式戦が開催される。同球場は1993年に、米国の国立公園局による調査で「米国内で使用されている球場では最古」と認定された。開場は1910(明治43)年8月18日。かつてニグロリーグのブラック・バロンズが本拠地として使用していた。今回の歴史的な一戦はなぜこの地で行われるのか。その背景をひも解いていく。【全2回の前編】

 暦が変わり6月になった。

 季節は初夏を迎え、歴史的な一戦がもうすぐ行われる。その舞台になるのが、米国で現存する最古の球場「リックウッド・フィールド」である。

 リックウッド・フィールドは、メジャー最長の歴史を誇るレッドソックスの本拠地、フェンウェイ・パーク(1912年開場)よりも約2年古い1910(明治43)年8月18日に開場。かつてニグロリーグのブラック・バロンズが本拠地として使用していた。同チームではメジャーデビュー前のウィリー・メイズもプレーした。当日20日は、メイズが21年間在籍したジャイアンツとカージナルスが対戦する。

 ニグロリーグとは、アフリカ系アメリカ人がメジャーリーグから排斥されていた1920年から1948年にかけて、全米各地に点在していた有色人種中心のプロリーグの総称である。今回の歴史的な一戦は、ニグロリーグへの表敬試合として行われ、両軍はそれぞれの本拠地にかつて存在したニグロリーグ球団の復刻ユニホームを着用してプレーする。

1948年、「リックウッド・フィールド」でニグロリーグ最後のWS開催

 リックウッド・フィールドは、オーナーの青年実業家アレン・ハーベイ・ウッドワードが1909年に南部で初となる鉄骨とコンクリートを使って建設。翌年から独立したサザンリーグのマイナーチーム、バロンズの本拠地となるが、ウッドワードは、黒人が多く住む地域性を生かし1920年にブラック・バロンズを創設してニグロリーグに参入。以来、2チーム併用の本拠地となった。

 1940年代にブラック・バロンズは勢い付く。ニグロ・アメリカンリーグで3度優勝。1948年10月には、ニグロリーグ最後のワールドシリーズを本拠地で戦っている。“最後”となったのは、人種の壁を破ったジャッキー・ロビンソンの活躍と関係している。

 1947年に黒人初のメジャーリーガーとしてジャッキー・ロビンソンがドジャースでデビューし大活躍すると、他球団も追随。有能な黒人選手の引き抜きに走り、ニグロリーグは存在意義を失って消滅した。

 バロンズはその後、メジャー8球団の傘下マイナーチームとなり、1987年まではホワイトソックスの2Aバーミンガム・バロンズが本拠地としていた。「バスケットボールの神様」と謳われるマイケル・ジョーダンが1993年に突如引退を表明し、翌1994年に所属して有名になったが、その頃のチームは郊外の街フーバーに移転していた。

真の「フィールド・オブ・ドリームス」としてMLBに公式戦開催を直訴

 野球愛に満ちたウッドワードの遺志を継ぐ有志の会は、バーミンガム・バロンズが去って以来、プロのチームが使用しなくなったリックウッド・フィールドこそ真の「フィールド・オブ・ドリームス」としてアラバマ市の協力を仰ぎ、メジャーリーグ機構(MLB)に公式戦開催を直訴した経緯がある。

 リックウッド・フィールドは後に殿堂入りを果たす者たちと深くかかわっている。選手に加え監督、コーチ、審判員を含め同球場の土を踏んだ経験がある180人以上が殿堂入りしている。その中には球史に名を刻む大物選手たちが名を連ねている――。

 初の殿堂入り選手として後世に名を遺すベーブ・ルース、タイ・カッブ、ホーナス・ワグナー、クリスティ・マシューソン、ウォルター・ジョンソンが、またニグロリーグからは前述のメイズと好投手サチェル・ペイジ、強打のジョシュ・ギブソン、俊足巧打のオスカー・チャールストン、そして両打ちの“クール・パパ”ベルが選出されている。

 ウッドワード有志の会が真正の「フィールド・オブ・ドリームス」と訴えるのもうなずける。

【後編へ続く】

○著者プロフィール
木崎英夫(きざき・ひでお)
1983年早大卒。1995年の野茂英雄の大リーグデビューから取材を続ける在米スポーツジャーナリスト。日刊スポーツや通信社の通信員を務め、2019年からFull-Countの現地記者として活動中。日本では電波媒体で11年間活動。その実績を生かし、2004年には年間最多安打記録を更新したイチローの偉業達成の瞬間を現地・シアトルからニッポン放送でライブ実況を果たす。元メジャーリーガーの大塚晶則氏の半生を描いた『約束のマウンド』(双葉社)では企画・構成を担当。シアトル在住。

(木崎英夫 / Hideo Kizaki)

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