劣勢の準決勝…弱気の監督に「選手を信じろ」 東海大相模、甲子園につながった3人の“結束”
激戦の神奈川を制した直後、スタッフ3人で涙の抱擁
2019年以来5年ぶりに夏の甲子園に出場する東海大相模。2021年の夏を最後に、春夏4度の全国制覇を果たした門馬敬治監督(現・創志学園監督)が退任し、元巨人の原俊介監督が就任した。それに伴い、部長やコーチの顔ぶれも変わり、新体制に。「門馬監督でなければ勝てないのではないか」という周囲の声も聞こえてきたが、新体制で迎えた3度目の夏、見事に激戦の神奈川を制した。
7月24日に行われた横浜との決勝戦。優勝を決めた瞬間、三塁側ベンチで祈るように見守っていた原監督は、両手を天に突き上げ、吠えて、泣いた。すぐに後ろを振り向き、和泉淳一部長と歓喜の抱擁を交わすと、そこに長谷川将也コーチが加わり、3人で泣きながら喜びを分かち合った。
この光景をそばで見ていたのが、記録員としてベンチに入っていた岡村日和マネジャーだ。強い東海大相模の野球に憧れて、三重から入学した。首脳陣の涙の抱擁を見て、自然に笑顔になっていた。
「嬉しい気持ちが強く出てきました。なかなか優勝できなかったので、泣きながら喜んでいるのを見て、本当に嬉しかったです」
試合中、岡村マネジャーの定位置は原監督か長谷川コーチの横。何か聞かれたときに、すぐに答えられるようにするためだ。和泉部長は、ベンチの後ろに座り、全体を見渡していることが多い。言うべきことが出てきたときには、ベンチの前に出てくる。
「3人の関係性が本当に良くて、試合終盤になると熱く燃えてくる原先生に対して、いつも冷静で落ち着いているのが和泉先生。長谷川先生も、原先生と『どうしますか?』と話し合っていることが多くて、そういうやりとりを見ているのが本当に楽しいです」
新チームで迎えた夏休み、シートノック中に起こった“言い合い”
1973年生まれの和泉部長、1977年生まれの原監督、そして1988年生まれの長谷川コーチ。いずれも東海大相模のOBであり、教員として野球部の指導に携わっている。
和泉部長が大学時代に、東海大相模で学生コーチを務めていたとき、高校2年生でプレーしていたのが原監督だった縁がある。その後、1999年から東海大甲府に異動し、部長として春夏7度の甲子園出場に貢献。学園内の人事異動で、2022年4月から母校に戻り、原監督を支えている。
今夏の準決勝の向上戦では、試合中盤、弱気の色が見えた指揮官に対して、「まだ負けてない。監督が選手を信じないんでどうするんだ」とあえて厳しい言葉をかけて、気持ちを奮い立たせたこともあった。試合後、原監督は「部長の言葉に救ってもらった」と感謝の意を述べていた。
和泉部長から見た原監督は、どんな指導者なのか。「一番良いのは、情熱に溢れているところとしつこさ。『まだやるの?』というぐらい、トレーニングひとつとってもしつこい。それが、うまく伝わっていたのが3年生。木村(海達)、才田(和空)、和田(勇輝)を中心にして、大人の対応ができる。『原先生はこういう野球をやりたい。じゃあ、自分たちも理解して、信頼して、先生に付いていく』という関係性が築かれていった感じはあります」。
当然、最初から全てがうまく回ったわけではない。新チームが始まったばかりの夏休みには、シートノック中に原監督と選手の意見がぶつかって、激しい言い合いになったこともあるという。守備の要・才田が証言する。
「今まで見てきた相模の野球は、アグレッシブに攻めていく。ミスをしてもいいから、熱く攻撃的にプレーする。でも、原先生は『熱さだけでは勝てない。常に冷静に丁寧にプレーしなさい』という考えで、最初は理解できませんでした。それで、夏休みの練習中に、お互いに考えていることをぶつけて、理解したうえで受け入れることができました。きっと、以前の相模も、熱く攻めるだけでなく、1つ1つ丁寧にプレーするというのは絶対にあったと思います。そこが自分たちは分かっていませんでした」
この夏、勝負所で安打を放っても派手なガッツポーズを誰もやらなかったが、それは、「心は熱く、頭は冷静に」という原監督の教えに基づくものだ。
優勝直後に恩師・門馬監督から贈られた言葉
神奈川大会を制したあと、和泉部長は長谷川コーチに「おめでとう!」と声をかけた。その言葉の意味をこう明かす。
「『門馬さんがいなくなって勝てなくなった』と言われて、一番悔しかったのは長谷川だと思います。長谷川は門馬さんの教え子であり、指導者としてもずっと一緒にやってきた。『このチームを何とかしたい』という気持ちは、行動を見ていればわかります」
主に投手指導を担当する長谷川コーチは、2006年に門馬監督のもとでセンバツに出場。東海大を経て、母校に戻り、コーチ・部長として門馬監督のもとで指導論を学んだ。
優勝を決めた瞬間、顔をくしゃくしゃにして泣いていた。どんな想いが込み上げていたのか。「嬉しさと同時に、いろんなことを思い出しました。2020年に夏の甲子園が中止になったこと、春夏連覇がかかった翌年の夏はコロナで大会途中に出場辞退になったこと。4年間、甲子園に行けなかったですから……」。
優勝してすぐに、恩師・門馬監督に報告の電話を入れた。「おめでとう」とお祝いの言葉をかけてくれたという。今回に限らず、大会が終わるたびに報告を忘れない。
コーチ自ら口にするように心がけた「日本一」
「門馬さんから学んで、今も生きていることは?」と聞くと、しばらく考えてから、「全部ですね」とつぶやいた。「言葉、仕草、行動、一緒にいた時間の全てです。今でも、『門馬さんなら、こうするかな』と思うことはたくさんあります。ここのところ勝てなかったのは、自分自身のふがいなさ。門馬さんに学んだことをチームに落とし切れていなかったと思っています」。
この代から、あえて意識的に変えたことがあるという。「自ら『日本一』を口にするようになりました。それは選手だけでなく、自分にも言い聞かせていること。ここ数年、それを言っていなかったなと思ったんです。いろんなことに理由を付けて、そこから逃げていた。でも、それじゃあダメ。プレッシャーをかける意味でも言うようになりました」。
原監督ともこれまで以上にコミュニケーションを取り、「どうしますか?」と相談することも増えた。3年生は岡村マネジャーを入れて12人。監督の交代時期と重なったこともあり、進路を変更した中学3年生(当時)もいた。監督が代わっても、「強い相模でやりたい」と覚悟を決めて入学してきた学年だからこそ、長谷川コーチの想い入れは強い。
「この3年生は何事にも一生懸命で、さまざまな取り組みに対してブレがない。やり切ることができる。個人ではなく、チームとして戦える学年。中心にいるのは木村、才田、和田。グラウンドで仲間にも厳しいことを言っているんですけど、彼ら自身がそう言えるだけの努力をしている。このチームで絶対に甲子園に行きたいと思える取り組みをしていました」
新体制で迎える初めての甲子園。優勝候補の一角に挙がるが、原監督も長谷川コーチも「一戦必勝。目の前のプレーに集中するだけ」と口を揃える。冷静に、丁寧に。やるべきことを積み重ねた先に、日本一の道が見えてくる。
(大利実 / Minoru Ohtoshi)
○著者プロフィール
大利実(おおとし・みのる)1977年生まれ、神奈川県出身。大学卒業後、スポーツライターの事務所を経て、フリーライターに。中学・高校野球を中心にしたアマチュア野球の取材が主。著書に『高校野球継投論』(竹書房)、企画・構成に『コントロールの極意』(吉見一起著/竹書房)、『導く力-自走する集団作り-』(高松商・長尾健司著/竹書房)など。近著に『高校野球激戦区 神奈川から頂点狙う監督たち』(カンゼン)がある。