捻挫に指揮官説教「お前のミスだ!」 開幕前に“悲劇”も…負傷関係なしで先発指令

オリックス時代の星野伸之氏(右)と土井正三監督【写真提供:産経新聞社】
オリックス時代の星野伸之氏(右)と土井正三監督【写真提供:産経新聞社】

星野伸之氏は1992年、完封勝利から6連敗も…最終的には13勝

 1991年ドラフト4位で、鈴木一朗外野手が愛工大名電から土井正三監督率いるオリックスに加入した。元オリックスエースの星野伸之氏(野球評論家)がプロ9年目の年だった。鈴木は1993年までの土井監督時代ではチャンスをうまくつかめなかったが、1994年に仰木彬監督体制になり、登録名をイチローにして大ブレーク。NPB初のシーズン200安打を達成するなど、超スーパースターの道を歩んでいく。星野氏はイチローについて「1年目の2軍の時からすごいのがいるって噂が僕らのところにも入っていました」と振り返った。

 星野氏は土井オリックス2年目の1992年4月4日のロッテ戦(千葉)で2年ぶり2度目の開幕投手を務め、5安打11奪三振で完封勝利を挙げた。「あの時は開幕の2、3週間くらい前に捻挫したんです。アメリカンノックで捕れるか捕れないかのところで落としたヤツ(ボール)を足で踏んでしまってね。土井監督に呼ばれて『不可抗力かもしれないけど、それも含めてお前のミスだ!』と説教をくらった。でも、それからまた1週間くらいして『開幕でいくぞ』と言われたんです」。

 それを聞いて星野氏は「あれだけ説教されて開幕投手だったのかと思った」という。「まぁ、あの当時、捻挫くらいは別にって感じでテーピングをガチガチにして投げました。(ロッテ開幕投手の)小宮山(悟)との投げ合いでしたね」。3-0で勝った試合後、土井監督に「俺はお前をずっと開幕投手と思っていた」と言われたそうだ。星野氏は「“嘘でしょ”って心の中で思いましたけどね」と笑う。その後、自身は6連敗してしまった。

 星野氏がシーズン2勝目を挙げたのは3安打完封した5月22日のロッテ戦(GS神戸)だから、1か月以上も白星から見放されていたわけだが、そこからきっちり立て直すのもエースの真骨頂。「流れってくるもんですね。打線も僕が投げるといいところで打ってくれたりしてね」。8月下旬から6連勝するなど序盤の6連敗もチャラにして、最終的には13勝9敗、防御率3.62でフィニッシュした。

イチローの1年目に驚嘆「彼がヒットの価値を上げた」

 そんなシーズンにルーキーの鈴木(1991年ドラフト4位)は7月11日のダイエー戦(平和台)で1軍初出場を果たすなど、40試合で95打数24安打の打率.253。シーズン終盤にはスタメン起用されることも増えた中での結果だった。星野氏は当時の鈴木についてこう話す。「(1軍昇格前から)目茶苦茶足が速くて内野安打が多いヤツがいるって噂になっていました。それなら、いずれは首位打者とか取れるんじゃないのって話をしていたのも覚えていますね」。

 高卒1年目の鈴木はまだまだ発展途上の選手だったが、実際、その姿を見て「『ホントだぁ』って思った」という。「確かにすごかったんですよ。ロッテ戦でセカンドが堀(幸一)だったかなぁ、ちょっと強い打球だったから、ランナーを見ないでバンと捕って、ゆっくり投げようとした瞬間にもうイチローはセーフでしたから。あれがセーフになるんですから、そりゃあみんな捕ってすぐ投げますよね」。

 イチローの規格外の凄さはそんなところからも始まっていたということだろう。「彼がヒットの価値を上げましたよね。やっぱりみんなも全力で走るようにもなりましたもんね」。鈴木は2年目の1993年、43試合で64打数12安打の打率.188に終わったが、イチローとなった3年目の1994年に210安打、打率.385で首位打者に輝くなど、一気に覚醒した。その後の活躍は言うまでもないだろう。星野氏も「やっぱり凄かったですね」とうなるばかりだ。

「仰木さんの時に開花しちゃったから、土井さんももうちょっと早く使ってもよかったのかもしれないけど、最初の2年間があったから、イチローも結果を出さなきゃ、ってなった可能性もありますからね」。野球人生は流れひとつでどう変わるかわからない。もちろん、イチローとともに戦った日々も星野氏にとっては貴重な経験であり、大切な思い出でもある。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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