敵将“怒り”「二度とやったら許さん」 試合前に発覚…中日主砲の大チョンボ

中日で活躍した宇野勝氏【写真:山口真司】
中日で活躍した宇野勝氏【写真:山口真司】

中日は1982年にリーグV…江川を攻略して4点差をひっくり返し、マジック点灯

 長打力を兼ね備えた大型遊撃手として知られる元中日の宇野勝氏(野球評論家)は、「ウーヤン」の愛称でファンからも親しまれた。打撃でも守備でも魅せる時は魅せながら、有名な“ヘディングエラー”(1981年8月26日の巨人戦、後楽園)で知名度プラス人気も高めたが、想定外のプレーはそれだけではない。敵将に「二度とやったら許さんからな」と“注意”されたこともあったし、まさかの“暴走”で先輩選手を唖然とさせたこともあった。

 宇野氏はプロ5年目の1981年に25本塁打を放つとともに、巨人戦での“ヘディングエラー”で名を馳せたが、中日が優勝した1982年はさらにジャンプアップ。4月4日の広島との開幕戦(広島)では「6番・遊撃」で初めて開幕スタメンに起用されるなど、ドラゴンズの若き“新たな顔”的存在になった。期待にも応え、125試合に出場して打率.262、30本塁打、69打点の成績を残した。

 印象深いのは9月28日の巨人戦(ナゴヤ球場)という。2-6の9回裏に巨人・江川卓投手から4点を奪って追いつき、延長戦で勝って2位ながら優勝マジック12が点灯した試合だ。「大事な試合だったんだけど、4点差で相手は江川さんだし、選手全体に“ああもう駄目だろうな”なんて諦めムード的なところがあったんだよ。それが豊田(誠佑)さんの三遊間のヒットから始まって、どんどんどんどんねぇ……」。

 9回裏の中日は代打・豊田外野手、ケン・モッカ内野手、谷沢健一内野手の3連打で無死満塁と江川を攻め、大島康徳外野手の中犠飛、宇野氏の適時二塁打、中尾孝義捕手の2点打で同点。延長10回は2死満塁で大島が巨人の2番手・角三男投手から中前適時打を放ち、サヨナラ勝ちした。諦めムードが一転、チーム一丸で難攻不落の江川を攻略して貴重な白星をつかんだ。ここから中日は優勝に向かって走り出した。まさにポイントのゲームだった。

 宇野氏は「あの時、初めて俺は江川さんの真剣に投げた球を打ったんじゃないかなと思う」と笑う。「レフト線へインハイのボールを打った覚えがあるね。なにしろ、それまでの3打席は3三振だったからね」。たとえ、それまで“ノー感じ”の三振が続いていたとしても、ここぞの場面では何か期待したくなる打者。それが意外性まで秘めた長距離ヒッター「ウーヤン」の魅力でもあった。

飛球を相手右翼手が落球…一走を追い越してアウトになるミスも

 そこにもうひとつ加わるのが“ヘディングエラー”に代表される思わぬプレーだ。宇野氏は「優勝した年だったかなぁ、大洋戦でユニホームを忘れたんだよね」と苦笑する。敵地・横浜スタジアムでの試合で、気がついた時はもう遅かった。通常の背番号7ではなく、中日・飯田幸夫コーチの背番号77のユニホームを借りて、審判団と大洋球団の了承を得て出場となったが、その背番号で躍動するのが「ウーヤン」の真骨頂だ。

「俺、その試合でホームランを打ったんだよね」。ユニホーム忘れのチョンボもバットで取り返して見せたのだ。「次の日、球場に行ったら(大洋監督の)関根(潤三)さんに『お前、もう二度とユニホームを忘れたら許さんからな、もう二度とOKしないからな』って冗談ぽく言われた。もしあの時、関根さんがOKしなかったら俺は試合に出られなかったし、ホームランも打てなかったわけだからね」。ユニホームを忘れただけでなく、本塁打を打ったからこそ話題になった。こういうところも人気につながったわけだ。

 珍プレーといえば、1984年5月5日の大洋戦(横浜)でもあった。宇野氏が放った右飛を大洋の高木由一右翼手が落球。それを見て必死に走ったところ、一塁走者の大島康徳外野手を追い越してアウトになってしまった。「一目散に行ったら、大島さんが途中にいたというね……。落としたぁってバーンと走って追い抜いちゃった。走者を見ずにザーッと行ってしまったんだよねぇ」と今でもバツが悪そうだったが、これもまた大いに話題となった。

 1984年はホームラン王に輝いたシーズンでもあり、まさに記憶にも記録に残る伝説のプレーヤー。「まぁ、振り返れば、いろいろやっているなぁ、俺って」と宇野氏は少々、複雑そうに話した。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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