他球団から誘いも…36歳で古巣復帰「筋を通したかった」 厳しい周囲の目、覚悟の帰国

薮田氏が語る日本球界復帰「誰も僕の本当の状態を知らない」
2年間の米国生活を経て、薮田安彦氏は2010年から古巣であるロッテに復帰した。「メジャーで投げていない、終わっていく選手だと思われているはず」との思いを胸に、復帰1年目が勝負になると見ていた。すでにベテランの域。絶対的な力を見せないといけない」と危機感を抱いていた。
「自分の中では球速も上がっているし、まだまだできると思っていました。でも誰も僕の本当の状態を知らない。それどころか、メジャーで投げていなくて、ニュースにもほとんど出てこなかったし、年齢も36歳。周りの目は厳しいだろうと」
他球団からのオファーもあったが、古巣への復帰を決断した。「瀬戸山(隆三氏)代表とのつながりもありました。帰って来るなら是非ロッテに、と言われていたから、筋を通したいと思いました」。こうして、復帰1年目から力を発揮するための舞台は整った。「最初の1年がめちゃくちゃ大事だったんです」。
2年間のブランク。日本のマウンドについても周到に準備した。「WBCから帰ってきた2006年は、結果こそ出ていましたけど、最初は結構苦労したんです。アメリカの固いマウンドから日本の柔らかいマウンドになって、なにかフワフワしているような、力が伝わらないという感じでした」。気が付けば、固いマウンド仕様のフォームに変わっていた。日本に帰ってもそのままで、ビデオを確認すると重心が上がっていた。
役立ったWBCの経験…帰国後は「力が伝わらないだろうと」
WBCの経験は、日本復帰の際に役立った。日本のマウンドに合わせて「フォームを変えました。体の使い方、特に下半身をどう使っていくか。メジャーの時のような突っ立った感じで投げると、力が伝わらないだろうと。変えるならオフの間に変えないと、と思って早めに取り組んでいました」。勝負の1年、開幕から「絶対的な力」を見せるためである。
強い危機感を持って臨んだ復帰1年目は、自身のキャリアで2番目に多い63試合に登板し、セットアッパーとして28ホールドを記録。チームもリーグ3位からの下克上で日本一に輝いた。翌2011年からはクローザーとなり、2年間で合計57セーブを記録。しかし2012年途中から肩痛に悩まされ、2013年は登板できないまま引退を迎えた。肩痛はあったものの、自身が思い描いていたとおり、復帰1年目に勝負をかけ3年間はフル回転したのである。
引退後はマリーンズの試合を中心に解説者を務めながら、アマチュア野球のコーチを歴任している。今は社会人野球の強豪、東芝のエグゼクティブ・アドバイザーを務める。「プロと違って一発勝負なので、難しさはあります」と言いつつ、日米での多彩な経験を活かして投手育成に尽力している。
(伊村弘真 / Hiromasa Imura)

