マイナー契約から守護神、2軍の帝王も飛躍…“どん底”からMLBで活躍した日本人
成績を落としてから米国行きを選んだ藤浪…過去にそんな例はある?
阪神からメジャーリーグに挑戦する藤浪晋太郎投手の新天地がアスレチックスに決まり、17日(日本時間18日)に入団会見が行われた。藤浪は入団から3年連続で2桁勝利を挙げたものの、制球難が取りざたされてから低迷し、昨季も1軍では3勝5敗。新天地で完全復活を目指す。では、藤浪のように“どん底”を経て、メジャーの舞台で復活した日本人投手は他にいるのだろうか。
メジャー挑戦といえば、周囲に有無を言わせない成績を残して日本を離れるというイメージがある。ただその中で、最も劇的な“復活”といえるのが斎藤隆投手の例だ。横浜で先発、リリーフの両面で活躍し、1998年の日本一にも貢献したものの、渡米前年の2005年には1軍で3勝4敗1ホールド、防御率3.82という平凡な成績だった。当時36歳。自由契約となって新天地を求めた。
ドジャースとはマイナー契約を結び、キャンプでアピールからのスタートだった。ただクローザーだったエリック・ガニエの戦線離脱もあり、初勝利、初セーブをトントン拍子に記録。終わってみれば72試合に投げ6勝2敗24セーブ、防御率2.07。翌年は63試合で39セーブを上げる大活躍だった。ここからレッドソックス、ブレーブス、ブルワーズ、ダイヤモンドバックスとチームを渡り歩き、7年間で338試合に登板。21勝15敗84セーブ、39ホールドの成績を残した。最後は日本に戻り、地元の楽天で現役を終えた。
また、日本では評価されなかった「希少性」が、メジャーで花開いた例もある。巨人でプレーした柏田貴史投手だ。1989年のドラフト外でプロ入り。1994年に1軍デビューしたものの、3年間で挙げた勝利は1つだけという平凡な成績だった。2軍では1995年に最多勝を獲得したものの、なかなかチャンスを得られなかった。