「ノーマーク」の韓国左腕に大苦戦…WBC決勝を前に原監督が“3度目”で下した異例の決断

2009年WBC時のイチロー氏【写真:Getty Images】
2009年WBC時のイチロー氏【写真:Getty Images】

2009年WBCで韓国の左腕、ポン・ジュングンに苦しめられた

 原辰徳監督率いる侍ジャパンは2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で世界一に輝いた。決勝戦は宿敵・韓国を延長の末に下したが、大会を通じて韓国の左腕、ポン・ジュングン(奉重根)には苦しめられた。第1ラウンド(3月9日、東京ドーム)では5回1/3を無失点、第2ラウンド(3月17日、ペトコパーク)での対戦でも5回1/3を1失点投球。チーフスコアラーだった三井康浩氏は「全くノーマークの選手だった」と話した。

 第2回大会で侍ジャパンは韓国と5度対戦した。最初の対戦(3月7日、東京ドーム)は14-2で7回コールド勝ち。北京五輪で星野ジャパンが苦しんだ左腕キム・グァンヒョン(金廣鉉)から2回途中までに大量8点を奪ってKOした。スライダー狙いで打ち崩した。三井氏は「そのピッチャーの得意球を攻めるのが早道と自分なりに思っていた。スライダーが邪魔ならスライダーを狙って、スライダーを減らせばいいじゃないかの考え方だった」と振り返った。

 もちろん、そのためにキム・グァンヒョンのスライダーを大研究。ナインには「真ん中からくるスライダーはみんなボールになる」などの注意点も加えた上で説明したという。「打ったのは、あのメンツだからできたことなんでしょうけどね。正直、大したもんだなって思いましたね」。この試合によって韓国サイドは疑心暗鬼になった。「日本はキム・グァンヒョンの癖が分かっているとか騒ぎだしたんで、これはラッキーと思いましたね。あの時は癖なんて全然わかっていなかったんでね」。これで天敵左腕を完全に封じ込めた。

 そんな中、新たな敵として現れたのがポン・ジュングン(奉重根)だ。「韓国ではキム・グァンヒョンとリュ・ヒョンジン(柳賢振)の2人の投手をマークしていた。あとは来たって怖くないとみていたんですが、思わぬところで、あんな打ちづらいピッチャーが出てきて、焦りましたよ、正直」と三井氏はいう。「手足の長さを利用した間合いと高めのボールにどうしても力負けしてしまっていた。それで打ちあぐんで……」

決勝戦で左腕と3度目対戦…原監督はミーティングを実施しなかった

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