プロ選手を輩出する「公立の雄」 あえての“リーダー不在”で促した自覚と団結力
元近鉄・北川らを輩出した大宮東は今春の県大会でベスト4入り
1980年創立の大宮東は、埼玉県の公立高校で初めて体育科を設置し、各分野で有能なアスリートを輩出してきた。野球部も大勢のプロ選手を生んだが、夏の甲子園出場は1度しかない。今春の県大会でベスト4入りした公立の雄は、32大会ぶりとなるひのき舞台へ駆け上がれるか。
1990年夏の甲子園に初出場した当時の主将・北川博敏は、近鉄(現・オリックス)時代にプロ野球史上初のリーグ優勝を決める代打逆転サヨナラ満塁本塁打を放った男として知られる。2つ先輩の山口幸司(中日)は、6本の大会最多本塁打や6試合連続アーチの埼玉県高校記録保持者だ。1993年春の甲子園で準優勝した平尾博嗣(博司、西武)も、1試合最多本塁打3本の埼玉県高校記録を持つ。卒業生にはこのほか、吉野誠(阪神)や矢口哲朗(中日)ら多数のプロ選手がいる。
昨秋から指揮を執るOBで19期生の飯野幸一朗監督は、大宮東を短期間で強豪に育て上げた故・宗像宣弘初代監督の最後の教え子だ。
飯野は小学5年で離断性骨軟骨炎となり、右肘を痛めて野球を断念。中学では陸上部に入ったが、「子どもの頃から憧れていたこの学校で、また野球に打ち込みたかった」と大宮東に進んだ。在学中はこれといった戦績を残せず、2年生秋の8強が最高だったが、宗像監督から学んだことは数知れない。それは41歳の今になっても生かされている。
「最大の目標は甲子園出場だが、部活動は野球を通じた人間形成だということを教わりました。謙虚さ、誠実さ、感謝の気持ちが先生の口癖。今、その重みを感じながら同じように選手に伝えています」
4年ぶりの春の関西遠征で感じた「人のぬくもりと温かさ」
野球場の正門と中堅フェンスには、“闘志なき者は去れ!”という創部当初からの精神が書かれている。理不尽さに耐える根性を追求しているのではない。規律やモラルを守り、人としての成長や社会生活での適応力を養う覚悟を求めたものだ。
春休みは4年ぶりに大阪、京都、奈良へ遠征。現地では大勢の人々が真心を持って接してくれた。飯野は「人のぬくもりと温かさに触れ、野球よりも人間として得るものがたくさんあった。春の4強は合宿の経験が大きく、チームが結束するきっかけになりました」と振り返る。
昨秋の3回戦で山村学園にサヨナラ負けすると、全員にキャプテンシーや責任感を持たせる狙いから、今年3月まで主将や副将を置かなかった。一人ひとりに自覚が芽生え、団結力をもたらした。
今春、新たに主将に任命された桑野倖成は「たくさんの方々に関わっていただき、野球部は成り立っている。ベスト4にしてもそうだし、感謝しかありません。自分たちは結果を出して恩返しするしかない」と表情をぐっと引き締めた。
例年だとこの関西遠征はAチームで編成するが、今年は26人の新3年生全員が帯同。飯野はこの26人が軸となるチームを作りたかった。メンバー入りとか試合出場の有無などを超越し、各自がそれぞれの立場を全うしてチームをひとつにすることだけに心血を注いだ。
「メンバーに入れなかった仲間のためにも」一致団結で臨む夏
夏の登録メンバーは20人だが、26人のうち10人の3年生が登録メンバーから外れた。
ぎりぎりの背番号20をもらった3年生の池田倭都は、「自分は伝令に走るほか、声も体も大きいのでベンチから監督の声を9人に届けています。メンバーに入れなかった仲間のためにも、この役目を一生懸命こなしたい」という姿勢は、飯野が求める団結力の表れではないか。
昨夏まで9年間指揮を執った10期生の河西竜太は、1990年の甲子園に唯一の2年生レギュラーとして出場。宗像監督の薫陶を受けたひとりで、「先生は野球以上に人としてこうあれ、という人生訓を教えて下さった」と語り、どの高校に勤務してもこの金言を守り続けている。
飯野は「母校で指導することは大きな望みでした。宗像先生から脈々と受け継がれてきた大宮東の遺伝子をしっかり伝えていきたい」と恩師への思いと責任感を示した。(文中敬称略)
(河野正 / Tadashi Kawano)
球速を上げたい、打球を遠くに飛ばしたい……。「Full-Count」のきょうだいサイト「First-Pitch」では、野球少年・少女や指導者・保護者の皆さんが知りたい指導方法や、育成現場の“今”を伝えています。野球の楽しさを覚える入り口として、疑問解決への糸口として、役立つ情報を日々発信します。
■「First-Pitch」のURLはこちら
https://first-pitch.jp/